信越化学工業は創立100周年を迎えました信越化学工業は創立100周年を迎えました
第5章

挑戦を続ける信越化学

「永遠の成長」に向け力強く前進

2004-2005

この章で知れること

  • 「永遠の成長」を目指して設備投資を進めた各事業部の挑戦
  • シンテックのプラケマイン工場建設の始動
  • 社会的責任を果たすために実施したさまざまな取り組み

1

「永遠の成長」に向け力強く前進

「成長神話」の復活へ

三益半導体工業の半導体事業部・上郊(かみさと)工場(群馬県高崎市)

2004年後半も好調な業績推移が続いた。2005年1月の年頭挨拶で金川社長は、第128期(2005年3月期)以降、前年比2ケタの増益を毎年続けて達成することを、「成長神話の復活」という言葉を用いて強く訴えた。その具体的方策として「現業の強化」、「新規事業の育成」、「大型投資案件の実施」の3点を挙げた。
2005年3月には、業績が好調なSEタイローズと、当社直江津工場におけるメチルセルロースの増強計画を発表した。SEタイローズでは年産2万7000tから4万tに、直江津工場では同2万tから2万3000tに増強する計画で、投資額は約200億円であった。
同じく3月には、ユニチカとの折半出資であった日本酢ビ・ポバールのユニチカ保有株式275万株を約70億円で買い取り、日本酢ビ・ポバールを当社全額出資子会社とした。日本酢ビ・ポバールの経営を一元的に行うことで意思決定の迅速化を図り、市場の変化に対応しながら、当社グループの有機化学品部門の一翼を担う存在として拡大成長を目指した。
前述のとおり、2004年9月の第128期中間決算で大幅な増収増益を果たしており、継続して第128期決算においても売上高、利益とも2ケタの伸びを達成し、連結当期純利益は10期連続で最高益更新となった。連結売上高9674億円、連結当期純利益931億円で、それぞれ1兆円、1000億円の大台が目前となった。
2005年4月に始まった第129期の世界経済は、原油をはじめとした原材料の価格上昇基調が続く一方で、BRICsと呼ばれるブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国が、世界経済の新たな牽引役として注目された。こうした国際的市場環境を踏まえて、第129期経営目標に「世界中の既存顧客および潜在顧客に拡販を推進する」を掲げ、具体的には「中国・ロシアなどへの販売を大幅に増やす。ただし与信リスクは厳に排除する」とした。
また、当社グループ間の連携については「当社グループ、部門間の垣根を取り、グループの総合力を生かし、販売を増やす」と、踏み込んだ表現をした。グループ間の協力関係は年々強化されており、設備投資や販売など、さまざまな経営上の課題について、グループ各社が協力する体制がつくられた。
2005年8月には、シリコンウエハーの加工を手がける三益半導体工業が実施した第三者割当増資を、当社が全額引き受けて、三益半導体工業における持株比率を第三者割当増資前の5%から28%に高めた。この結果、三益半導体工業は当社の関連会社となった。
さらに2005年12月には、三益半導体工業の株式を、公開買付け(TOB)によって追加取得することを決定した。この公開買付けは、三益半導体工業の同意のもとに2005年12月から2006年2月まで行われ、当社は三益半導体工業の株式600万株を買い付けた。買付け後の三益半導体工業における当社の持株比率は40%を上回った。
三益半導体工業は、シリコンウエハーの加工を行う「加工3社」の一角を占め、長年にわたり優れた加工技術を培ってきた。当社の関連会社となったあとも技術交流を促進し、新たな加工技術の共同開発などを進めた。
半導体市場の拡大のなかで、シリコンウエハーの加工技術は重要性を増した。当社と三益半導体工業の関係強化は、当社グループにとっては高度な技術を有する加工拠点の確保の点から不可欠であり、三益半導体工業にとっては安定した経営基盤の確保により、機動的な設備投資など迅速な事業展開が可能になり、双方に利点をもたらすものであった。
とりわけこの時期、資本市場では、企業の資産価値のみに着目した投機的な企業買収がしきりに行われており、優れた業績を上げる企業にとって安定株主の確保は重要性を増していた。三益半導体工業との資本関係の強化は、この点にも貢献するものであった。
第129期(2006年3月期)決算は、連結売上高1兆1279億円、連結当期純利益1150億円となり、連結売上高1兆円、連結当期純利益1000億円の大台を超えた。連結売上高は前年比16.6%増、連結当期純利益は同23.5%増と前期に引き続き高い伸び率を示し、連結当期純利益は11期連続で最高益を更新した。
シンテックは米国の旺盛な住宅建設需要を背景に、フリーポート、アディスの2工場でフル生産を続けるとともに、原料費高騰にともなう価格改定を実施し、2005年12月期も業績を大幅に向上させ、過去最高の業績となった。
シリコーン系事業は国内の需要増と輸出の収支改善が奏功して、前年を大きく上回る業績となり連結決算に貢献した。
半導体シリコン事業は300mmウエハーの需要増に対応するとともに、200mmウエハー(8インチウエハー)、SOIウエハーなども好調で、売上げ、利益とも2ケタの伸びとなった。
そのほか、電子材料ではマグネットのVCM用途が高い伸びを示し、エキシマレーザー用フォトレジストも収益を伸ばした。また、合成石英事業では、液晶表示装置用フォトマスク基板が好調だった。セルロース事業は国内市場が堅調に推移し、2005年12月に直江津工場の増設を完了した一方、SEタイローズは欧州の建材市場で販売を伸ばした。
こうして当社グループは2期連続で売上げ、利益とも2ケタ成長を達成し、ここに「成長神話の復活」が実現した。

継続的な改革・効率化

2004年以降も経営の合理化、効率化は一貫して進められた。G委員会は10年以上継続して成果を上げたが、2003年4月に始まった第127期には、「第127期より開始の3カ年30%コスト削減計画の実行」を基本方針として掲げた。その後、各工場では「工場のあるべき姿(ビジョン)」を策定して、安全、品質、コストとも国際競争力のある「ものづくり」の達成を目指した。こうして毎年100億円規模の合理化を実現した。
営業資金効率化委員会は、2004年以降も引き続き、代金回収日数の短縮や在庫の適正化などによる改善額200億円以上の達成を目指して、日常の営業活動におけるきめ細かな活動に取り組んだ。さらに販売直接費の合理化でも成果を上げて、着実に収益向上に寄与した。

本業に集中し増益で株主に報いる

ROEと配当の推移

ムーディーズにおける世界化学会社の格付け (2007年4月12日)

当社は、かねてから株主を重視した経営を進めてきたが、2004年以降、さらにROE(自己資本当期純利益率)や配当性向の向上に注力した。
ROEは投資家が注目し、株価に影響を与える経営指標の一つである。ROEの上昇要因は分母である自己資本の減少と、分子である当期純利益の増加である。当社グループの自己資本は大幅に増加しており、ROE向上のためには潤沢な資金を活用した自社株の買入消却も選択肢の一つであった。しかし、これを行わずに、大幅な増益を達成して、分子である当期純利益を増やすことでROEの向上を図り、株主の期待に応えることを目指した。当社は第128期(2005年3月期)から第131期(2008年3月期)まで、連続して前年比2ケタの増益を達成した。その結果、第128期以降の連結決算におけるROEは各期とも前年を上回り、第127期の8.6%に対して、第131期は13.3%となった。
配当については2004年10月の第128期中間決算発表時に、第128期通期業績予想を上方修正すると同時に、1株当たり年間配当金の予想も20円に上方修正した。これは期初の予想より2円増額、前年より4円の増配であった。実際に第128期の1株当たり年間配当金は20円となり、さらに第129期は35円となった。これは長期的な観点に立って収益の拡大と企業体質の強化を図りながら、株主への利益還元を進めた結果であった。
そして第130期の1株当たり年間配当金は70円、第131期は90円となった。これにより1株当たり年間配当金は、10年前の第121期(1998年3月期)の8.5円の10.5倍となった。
このような、好調な業績推移と強固な財務構造を背景とした信用力は、従来にもまして高く評価された。
国際的な格付会社のムーディーズインベスターズサービスは、当社の格付けを2005年1月に「A2」から「A1」に引き上げ、2007年4月に「Aa3」へと引き上げた。「Aa3」は、国内化学会社はもとより、世界の化学会社のなかでもドイツのBASFと並びトップランクであった。これは事業の成長性や安定した財務内容が認められたものであった。

「挑戦」を評価する新人事制度を導入

こうした高い成長を継続するには、常に困難なことへ挑戦し、これを成し遂げなければならない。そのためにはこれまで以上に、従業員一人ひとりが、それぞれの立場で持てる能力をいかんなく発揮することが求められた。
当社は人事制度を1998年に抜本的に改定しており、年功や学歴ではなく、個々人の能力や成果に基づいて処遇する制度を取り入れていた。しかし、国内の慢性的な景気低迷、日本企業の急速な海外生産拠点の拡大、世界経済における中国の影響力増大など、その後の企業を取り巻く環境は予想以上に急速かつ大きく変化しているとの時代認識のもと、2004年4月に人事制度の改定を実施した。
社報『信越化学』2004年4月号に掲載された人事制度改定に関する特集記事では、次のように説明した。会社は「これまでの延長線上ではなく新たな発想をもって困難な課題に取り組んでいかなければ、これからの成長はない」。そのためには、従業員一人ひとりが「自分の持ち場、立場において困難な課題に積極的に挑戦」してほしい。そして「困難な課題に挑戦して、それを成し遂げたならば高く評価し正当に処遇する仕組み」であり、「困難な課題に果敢に挑戦し、たとえ失敗したとしてもその過程を公正に評価し、リカバリーが可能な制度」とするための改定であった。
そのキーワードとなる「成果」については、毎期の目標の達成度と目標の難易度によって評価するとし、求められる成果は、量的拡大だけではなく質的進歩が必要であるとした。「目標」は「各人が果たすべき業務+新たに挑戦する課題」と定義された。
資格制度については全資格において自動昇格を廃止し、困難な課題を達成した場合には、これまで以上に昇格のスピードを速める一方、降格の仕組みも初めて導入した。給与制度では、全資格同一だった給与項目を2本立てとして、下位の資格では能力主義とし、上位資格になるほど成果主義が強まるものとした。また仕事での頑張りに関係なく昇給する「年齢給」を廃止した。
このように資格制度と給与制度の変更を行うことにより、年功や学歴ではなく、各人の成果や努力に報いた制度へと移行した。

◆組織・人事改革から抜本的な改革を始動
この持続的な利益成長や収益力の向上をもたらしたのが、1990年代以降に進められた、さまざまな改革である。
1980年代半ば以降、当社グループはシリコンサイクルに代表される景気変動に左右されない安定した企業体質づくりと、海外市場への積極的な展開に力を注いだ。小坂雄太郎社長の「全天候型企業」構想である。しかし小坂社長は志半ばにして1990年8月に急逝した。あとを引き継いだ金川社長も、徹底した改革を推進した。その第一歩は、組織と人事の改革であった。
国際化、高度情報化、諸種の規制緩和による競争の激化など、企業を取り巻く環境変化が激しくなるなか、経営の基本はもとより日々の業務においても、迅速な意思決定と変化への柔軟な対応が求められた。それを可能にするには、組織を簡素化して意思決定までに要する時間を短縮すると同時に、意思決定の透明性を高める必要があった。
しかし当社には長年の社内慣行によって、部門特有の既得権が存在する傾向があった。こうした慣行を打破する一環として、新規採用人数実質ゼロという方針を打ち出し、実行に移した(第2章第Ⅰ節)。これは、その後の本格的な改革の始動を告げるものであった。
バブル崩壊後、国内の多くの企業は効率化を図るために人員削減を実施した。いわゆるリストラである。しかし、当社は解雇による人員削減という意味でのリストラは行わなかった。従業員の雇用を守ることは経営者の重要な責務である、という金川社長の理念によるものであった。そのため、新規採用を本当に必要な人数に絞り込むことは、効率化の重要課題の一つであった。
またグループの求心力強化のために、従業員から信頼される透明性の高い経営と、高い成長性の確保が不可欠であった。このためグループ各社の経営陣に、当社の改革を支えた人材を配し、グループ一丸となって変化に即応できる体制を整えた。

◆大型投資で、強い分野をより強く
2004(平成16)年1月、本社年賀式において金川社長は、年頭挨拶に続いて従業員との質疑応答に時間を割いた。そのなかで当社の将来像について問われ、次のように答えた。
「私は信越化学を永遠に伸び続ける会社にしたいと思っております。永遠に伸び続けるためにまず必要なことは、最近の例でいえばシンテックの第2工場や300mmウエハーのように、適切な投資を行っていくことです。もう一つは、最適と思われる研究テーマを選択して、それに基づく新規事業を進め、収益に結びつけることであると考えています」。
実際に投資案件の一つであったクラリアントのセルロース部門の買収は、2003年12月に手続きが完了し、同事業を引き継ぐSEタイローズが設立された。さらに、当社とGEおよび東芝との合弁で2001年2月に設立されたタイのアジアシリコーンズモノマーでは、2003年末から工場の試運転が始まり、2004年5月にはタイ政府関係者ら来賓を招いてグランドオープニングセレモニーを開催した。
こうして2004年は、当社グループがそれまで数年間建設を進めてきた海外の大型設備が稼働し、シンテックと信越半導体における大規模な増強計画とともに、世界市場をにらんだ大きな一歩を踏み出す年となった。
2004年初めの世界の経済環境は、ITバブル崩壊の影響が払拭されておらず、米国経済は堅調ながらドル、株価、債券のトリプル安が懸念されていた。また、国内経済は緩やかな回復基調にあるといわれながら、個人消費が依然として低迷を続け、デフレ傾向から脱却しきれず、力強さを欠く状態であった。
先行きに不安が残る状況ではあったが、当社は売上高、利益ともに高い目標を掲げ、その実現に取り組んだ。その結果、第127期(2004年3月期)連結決算では、売上高、利益とも前年を上回り、連結当期純利益は9期連続で最高益更新となった。
国内塩ビ事業で長年懸案であった価格後決め方式に関しては、当社は2003年12月に、同方式の廃止と塩ビ樹脂1kg当たり15円の値上げを発表し、需要家と粘り強く交渉を進めた(第4章第Ⅲ節参照)。その結果、需要家の理解が得られ価格先決め方式となり、値上げを実施した。これにより赤字が続いていた国内塩ビ事業の収支は改善された。
合成石英は液晶表示装置用フォトマスク基板が健闘したものの、光ファイバー市場が急激に縮小し、光ファイバー用プリフォームが大幅に落ち込んだ。そのため第127期の合成石英事業は売上高、利益ともに前年を下回った。
シリコーン系事業の第127期の売上高は、堅調な国内販売と中国・東南アジア地域の需要拡大により前年を上回ったが、輸出の収支が悪化して減益を余儀なくされた。このため2004年の年初から、シリコーンの輸出の収益改善に向けた取り組みを進めた。
2004年4月に始まった第128期は、各事業とも成長力の確保にいっそう注力した。とりわけシンテックや300mmウエハーといった国際競争力を有する事業は、大規模な設備投資を実施して競争力の強化に努めた。
2004年9月の第128期中間決算では、売上高が前年同期比15%増となり、営業利益、経常利益、当期純利益はともに前年同期比20%を超える高い伸びを示した。
各事業を見ると、シンテックと300mmウエハーの両事業が世界市場で順調に販売を拡大し、液晶表示装置用フォトマスク基板も大幅に収益を伸ばした。一方、国内塩ビ事業とシリコーンの輸出では収支の改善が進んだ。また、SEタイローズは順調な業績推移となり、早くも連結決算に寄与した。
この結果、期初の予想を大きく上回る好業績となり、第128期(2005年3月期)通期の業績予想についても、2004年10月の中間決算発表時に、期初の予想を大幅に上方修正した。
設備投資の面では、9期にわたる最高益更新によって生み出された豊富な自己資金を活用して、国際競争力を強化する思い切った大型投資が可能になっていた。
2004年12月、シンテックはかねてから準備を進めてきた大規模な設備投資計画を発表した。フリーポート工場が操業を開始して30周年を迎えたシンテックは、それまで塩ビポリマーのみを生産してきたが、この設備投資によって原料の塩素から塩ビモノマー、塩ビポリマーまでの一貫生産体制を確立することとなった。必要な投資額約1000億円は、全額をシンテックの自己資金で賄う計画であった。
この計画は2段階に分かれており、その第1段階は塩素30万t、か性ソーダ33万t、塩ビモノマー50万t、塩ビポリマー30万tの工場を建設する。その後、第2段階として増強工事を行い、完成時には塩素45万t、か性ソーダ50万t、塩ビモノマー75万t、塩ビポリマー60万tの生産能力を持つ、塩ビ一貫生産工場を完成させるものである(生産能力はいずれも年産)。
立地については、発表段階ではシンテックの塩ビポリマー工場があるテキサス州またはルイジアナ州とされたが、その後、ルイジアナ州の同社アディス工場近くのプラケマインに建設されることが決まった。
塩ビの世界市場は年率3~4%の成長を続けており、とりわけ米国市場は建材分野などを中心に堅調に推移していた。シンテックは当社グループの中核として、米国をはじめ全世界の塩ビ需要の伸びに迅速に対応した。当社グループは世界市場においてトップシェアを確保してきたが、大型設備投資によって、さらに基盤を強化することになった。
同じく2004年12月、信越半導体が300mmウエハーの生産能力増強計画を発表した。信越半導体は2001年2月に、白河工場で世界に先駆けて300mmウエハーを量産化し、その後も設備増強を続けて、2004年12月には月産30万枚の生産能力を有していた。この増強計画では、白河工場とSEHアメリカで大規模な設備投資を行い、2005年9月までに月産40万枚、2006年秋までに月産50万枚に生産能力を高めることとして、計1000億円の投資額を見込んだ。
この計画の実施により、SEHアメリカは当社グループで初の300mmウエハーの海外生産拠点となった。
300mmウエハーの生産拠点を白河工場とSEHアメリカの2カ所に設けたのは、生産規模を拡大すると同時に、地震や風水害といった自然災害などのあらゆるリスクを分散し、安定供給を図るためであった。
Z委員会による新規事業テーマ(Zテーマ)については2004年11月、新機能材料二部と新機能材料三部を統合して「新規製品部」を新設し、同部が液状フッ素エラストマー、ペリクル、シリカなどを担当した。また、新機能材料一部は新機能材料部と改称し、エキシマレーザー用フォトレジストと厚膜フォトレジストを取り扱うこととなった。

さらに高まる外部からの注目と評価

「日経ものづくり大賞」の表彰状とブロンズ像

1990年代以降の好調な業績推移は、外部から大きな注目を集めた。2004年1月、日本経済新聞社が実施した「平成の名経営者」調査で、金川社長が第6位に選ばれた。この調査は年号が平成に変わって15年経過したのを機に、平成の名経営者の群像を探るために同紙の読者、企業トップ、市場関係者、同紙記者などに幅広くアンケート調査を行ったものであった。金川社長は市場関係者の回答で第3位、企業トップの回答で第5位に選ばれ、総合で第6位となった。評価項目のなかでは「先見性」、「統率力」、「業績」が高く評価され、特に「先見性」では最高評価の「A」ランクであった。一般消費者に馴染みのある最終消費財メーカーや流通業のトップが名を連ねるなか、素材メーカーの経営者では金川社長が唯一、上位に選ばれた。
2005年8月、日経金融新聞に掲載された長期の株価騰落率ランキングで、当社の株価上昇率が36.38倍と算出され、第3位となった。これは日本経済新聞社が、戦後60年の節目の年にあたり金融・証券市場の変遷を振り返るため、1977年12月28日の終値に対して、2005年8月12日終値の株価騰落率を算出したものであった。比較の定点である1977年12月28日と2005年8月12日に東京証券取引所第1部に上場していた723社を対象とした。
この調査では、バブル崩壊後の不況時を含め着実に成長を続けた企業が株価を高めて、上位にランクされる結果となった。
2005年10月には、日本経済新聞社主催の第2回「日経ものづくり大賞」で、シンテックが大賞に選ばれた。同賞は国内外の「ものづくり」に関わる優秀な工場、事業所、研究所や、そこで採用されるシステムを表彰するもので、2004年に創設された。シンテックの受賞理由は、「徹底的に生産性を高めるとともに、排水処理など環境対策を適切に行っており、化学工場の社会的使命を認識している」ことであった。

◆「成長神話」をめぐる指摘
2005年の年頭挨拶で、金川社長が「成長神話」という言葉を用いたのには理由があった。2003年5月に当社はアナリストから、「成長株としての役割が終わったことを示しているようにも感じられる」とレポートされた。9月に行われた投資家向け説明会でも、「成長を続けているが伸び率は下がっている。再び高成長を達成することは可能なのか」という質問を受けた。その当時、当社はすでに10年近くにわたって最高益更新を続けており、前年比10%を超える成長を続けるには、毎年100億円規模の利益増を続けなければならなかった。金川社長は、これを「優良会社を毎年1社つくり続けることに匹敵する」と表現している。当時の経済環境では、極めて困難なことであった。それでも、指摘を受けた金川社長は、容易ではない2ケタ成長の持続にあえて挑戦する決意を新たにした。それが「成長神話の復活」という年頭挨拶に込められていた。

「社会的責任」に応え取り組みを拡充

直江津工場のメチル黒ライド輸送のモーダルシフトによる初荷コンテナ(JR黒井駅)

外部からの評価が高まるなかで、企業市民としての社会的責任を果たすため、当社は環境、安全、法令遵守、社会貢献などを真摯に進めるとともに、広報やIR活動などを通じて、説明責任を果たすことにも力を注いだ。
企業の社会的責任(CSR)に関しては、当社グループは従来よき企業市民として、社会へ貢献する活動を進めてきたが、これをいっそう着実に、組織立てて進めていくため、2005年4月に「CSR推進委員会」を設置した。同時に幅田紀一常務がCSR担当役員となり、CSR推進委員会の委員長に就任した。
同委員会は「CSRとは企業活動そのものである」という認識に立ち、これまで企業として行ってきたことを見直して、よい点は継続し、改善すべき点があれば修正することにより、当社グループの企業価値をさらに高める活動に取り組んだ。具体的には「CSR基本方針」を策定し、その実行状況を総括した。また、1998年から毎年度「環境報告書」を発行してきたが、2004年度からはCSRの視点を取り入れ、社会や従業員との関わりなどの情報を盛り込んで内容を刷新し、名称を「環境・社会報告書」と改めた。
環境保全に関する具体的な取り組みとしては、直江津工場や鹿島工場などで進めた「モーダルシフト」がある。これは幹線貨物輸送を、トラック輸送から、環境負荷の小さい鉄道や海運へと切り替えるものである。
その一例は、直江津工場から香川県までタンクローリーを使っていたメチルクロライドの輸送を、直江津工場近くのJR黒井駅から高松貨物ターミナル駅までの鉄道輸送に切り替えたもので、2004年2月から実施した。
この事業は、当社と、当社全額出資子会社の直江津産業、日本貨物鉄道(JR貨物)、日本通運によって国土交通省に共同提案され、その結果、同省による2003年度第1次認定事業21件の一つとなった。この取り組みによって、タンクローリーによる輸送に比べて、二酸化炭素の排出量が年間191t減、85.3%削減できると試算された。
各工場では、新たな技術を取り入れながら、環境負荷の低減や資源・エネルギーの有効利用の推進を図った。2005年7月には、直江津工場のメチルセルロース製造工程で、新しいリサイクルシステムが本格稼働した。メチルセルロース製造工程で発生する排ガスと排水を一括して燃焼処理し、その過程で派生する塩水を回収して電解工程に再投入し、か性ソーダやメチルクロライドの原料として活用するものである。このシステムの導入により、直江津工場におけるメチルクロライドと有機化合物の排出量は大幅に削減された。
2005年10月には、当社グループの環境保全への取り組み強化に向けて、環境基本憲章が改定された。新しい環境基本憲章は、地球温暖化防止や地球環境の継続的改善に取り組むことが盛り込まれるなど、より具体的な内容となった。
法令遵守については、「信越グループの企業理念」の冒頭に「遵法に徹し公正な企業活動を行う」ことを掲げて、従業員全員への徹底を図った。また2005年4月に施行された「個人情報の保護に関する法律」への対応も図り、2005年3月に「個人情報保護ポリシー」を制定して、ホームページで公開した。また、コーポレートガバナンス体制を充実させて、業務監査担当部門の機能の拡充を図るため、2005年5月、それまでの担当部門であった監査室を改めて「業務監査部」とした。
2006年6月には金融商品取引法が公布され、全上場企業に対して2008年4月1日から始まる事業年度(当社は第132期)から、「内部統制報告書」の作成が義務づけられた。これは各企業において、財務諸表の数字が正しいことを担保・保証する内部統制システムを構築・整備するとともに、その整備・運用状況を評価した内部統制報告書の作成と公表を求めるものであった。さらに財務諸表を監査する同一の監査法人が、その内部統制の監査を行って、「内部統制監査報告書」を作成、公表することも義務づけられた。
これに対応するため、当社は2006年12月、業務監査部、経理部、社長室のメンバーからなる「内部統制推進チーム」を設置して、2007年4月にキックオフミーティングを開催した。また信越半導体、信越ポリマーでも同様の組織を設置した。

地域や従業員との絆を深める

福井県北部集中豪雨の被災世帯でボランティア活動に取り組む従業員(2004年7月)

フリーポート市長からシンテックに寄せられた感謝状(2004年9月)

当社グループの社会貢献活動の一例としては、災害支援活動が挙げられる。2004年7月18日未明から福井県北部が集中豪雨に見舞われた際、武生工場およびグループ会社の設備には被害がなかったものの、各所で河川が氾濫し、自宅が床下・床上浸水の被害を受けた従業員は60世帯にのぼった。その被災世帯には職場の同僚が駆けつけ、泥土の撤去などを手伝った。さらに100人を超える武生工場の従業員が被災地域の復旧に向けたボランティア活動に参加し、道路や民家の土砂を撤去するなどの作業に従事した。

2004年10月23日には、新潟県中部でマグニチュード6.8、最大震度7の「新潟県中越地震」が発生し、避難者約10万人の大きな被害をもたらした。新潟県上越市にある直江津工場では、本震直後にいったん操業を停止して安全確認を実施したが大きな被害はなく、その後は通常どおり操業を続けた。

当社グループは地震の翌11月に、被災地への義援金1000万円を新潟県に贈るとともに、グループ会社の信愛産業が電気、上越ガスサービスがガスと水道の復旧工事に協力した。また、個人としてボランティア活動に参加した従業員も数多く、直江津工場では有志が義援金を募り、日本赤十字社を通じて被災地に60万円を寄贈した。

海外でも2005年8月に米国南部がハリケーン「カトリーナ」に襲われた際、その直後の9月にシンテックが、アディス工場のあるルイジアナ州に200万ドルの寄付を行った。2006年2月には、これに対して同州選出の米国上院議員と下院議員から、金川社長に感謝の手紙が届けられた。文中では、「カトリーナ」の災害支援の寄付に限らず、アディス工場建設以来のシンテックのさまざまな活動は、「企業責任の輝かしい代表例」と高く評価された。

ほかにもシンテックは、2004年にテキサス州フリーポート市に新しいコミュニティハウス建設のための資材を寄贈し、9月1日付でフリーポート市長より感謝状が贈られた。さらに2006年9月には、フリーポート市を含むテキサス州ブラゾスポート地区の商業会議所に10万ドルを寄付した。これは同会議所の新事務所建設のためのもので、現金による寄付ではシンテックが最高額であった。2007年12月には、ブラゾスポート・メモリアル病院のガン治療センターに5万ドルを寄付した。

また、シンテックのアディス工場の社会貢献活動も高く評価された。2007年1月には、地元のイバビル郡から「大手企業としての卓越したビジネスパートナー賞(The Large Company Outstanding Business Partner Award)」を受賞し、ルイジアナ州選出の上院議員から祝辞が寄せられた。

一方、2007年3月には、当社グループの日本人従業員の子女で、米国の大学に留学する学生を対象とした「BAKER-KANAGAWA日米奨学金制度」を設立した。選ばれた奨学生には、2007年9月に始まる新年度から奨学金の支給が開始される。元ダウジャパン社長のベーカー氏(Robert Baker)と金川社長が、国際的に活躍できる人材の育成と日米交流のいっそうの進展を願う思いで一致して、奨学基金を出資した。

ベーカー氏は、在日中は日本のアメリカ商工会議所会頭を務め、ダウケミカルを退職後は日米教育委員会の委員として日米交流に力を注いだ。金川社長はニカラグアのポリカサを経営していた1969年に、ダウケミカルの中南米プラスチック部門の責任者であったベーカー氏と知り合い、それ以来の交流が続いている。奨学金制度設立には、国際社会の平和な発展を願う2人の強い思いが込められていた。

SEHアメリカの工場が置かれている米国ワシントン州バンクーバー市では2008年3月、SEHアメリカと金川社長の地域への貢献を顕彰して、同市の市長の提案によりSEHアメリカの工場入口がある「Northeast 39th Street」を「SEH-Kanagawa Way」と改称し、工場内を横断する道路を「Kanagawa Avenue」と命名した。3月5日に開催された記念式典には、市長をはじめ行政担当者や地元有力者が出席し、新名称を表示した標識の除幕式などが行われた。なお、同市は2007年11月、金川社長に名誉市民の称号を授けている。

福井前日銀総裁、特別顧問に就任

福井俊彦特別顧問

◆世界で最も優れた中央銀行総裁
2008年11月1日、当社は福井俊彦氏を特別顧問に迎えた。福井氏は2003年3月から2008年3月まで日本銀行総裁として、強い信念を持って金融政策を推進され、広く内外から絶大な信頼を寄せられた。在任中には、デフレ状況からの離脱、量的規制緩和の解除、利上げの実行など、いずれもわが国経済の立て直しに欠かせない金融政策を果敢に実行し、成功裏に導いた。また、2004年には、権威ある英国の経済誌『エコノミスト』により「最も優れた中央銀行総裁」に選ばれ、その卓越した見識とゆるぎない信念に裏打ちされた指導力は、世界的に高く評価されている。


◆金川社長と福井氏の出会い
福井氏と金川社長の出会いは、福井氏が総裁在任中に金川社長を招いて、経営観などを尋ねる機会を設けたのが始まりであった。「信越化学を途切れることのない成長に導いてきた金川社長の優れた経営手腕については、さまざまな資料やデータから早くから注目していましたが、資料を調べるだけでは飽き足りなくなって直接お話を承りたいと金川社長にお願いしたところ、快く引き受けてくださったことは望外の喜びでした」と福井氏はのちに当社での懇談会で語っている。
また、当社との出会いは、福井氏が日銀に入行された翌年に新潟支店に赴任された頃にさかのぼる。福井氏は入行当初から、日本銀行は一般の金融機関に比べると産業界の人々と出会う機会が少ないため、自ら積極的に出かけていき、現実の産業界の動向をきめ細かく捉えることに意を用いてこられた。そのため、新潟支店勤務のときに、当社の直江津工場にも訪れ、話を聞く機会があった。
 

◆特別顧問就任に招聘
福井氏の傑出した見識と指導力にかねてから注目してきた金川社長は、福井氏が総裁を退任すると、当社の経営全般に関して大所高所から助言いただくために、特別顧問として招聘することを決意した。金川社長は2008年11月に開催された福井氏と当社役員の懇談会の席上、その経緯を次のように語った。「厳しい経済環境下にあっても、当社グループは世界を舞台に発展を目指しています。福井前総裁の傑出した見識を生かしていただき、大所高所からご意見をいただくことを願って、あえて当社特別顧問ご就任を懇請いたしました」。折しも世界経済が大きな転換期を迎えるなかで、当社は福井特別顧問を迎え、厳しい経済状況下でも果敢に難局に立ち向かい、さらなる発展を目指して決意を新たにした。

金川社長が外務大臣表彰ほか受賞

「外部大臣表彰(平成17年度個人の部)」

2005年7月、金川社長が「外務大臣表彰(平成17年度個人の部)」を受賞した。表彰式は東京都港区の外務省飯倉公館で行われた。 外務省による表彰理由は、「シンテックの社長として米国経済の発展に多大に貢献し、テキサス州名誉州民、ヒューストン市名誉市民として賞され、またルイジアナ州名誉代表、同州名誉州務長官にも州政府から任命された。また、2001年の米国同時多発テロに際しては米国赤十字社に義援金を贈ったほか、米国経済の発展および日米交流に長年にわたり大きく貢献した」というものであった。
また、金川社長は2001年以来、FEC国際親善協会(現・民間外交推進協会)会長を務めており、民間レベルでの国際親善に寄与してきたことも高く評価された。企業経営者が外務大臣表彰を受けるのは極めて異例のことであった。
さらに金川社長は、同会の会長として、2007年6月にエジプトから「外務大臣表彰」、2008年5月にはベトナムから「友好勲章」を授与された。

◆2006年度の事業動向
2006年4月から始まる第130期も、国内経済は企業の設備投資などに支えられて緩やかな回復を見せ、東南アジアや中国経済も拡大が続いた。また米国では、エネルギー価格の高騰や個人消費の動向などが懸念されたが、総じて底堅く推移した。
このような事業環境のもと、当社は3期連続の2ケタ成長を目指し、世界市場における積極的な販売拡大、原料価格高騰にともなう販売価格改定、将来の発展に向けた設備投資、新製品の開発や事業化などにいっそう注力した。2007年1月、金川社長は本社年賀式において、当社の将来について次のように述べた。
「私が新年に見た夢は、当社が世界の化学企業のなかで時価総額でトップの地位についているという将来像です。時価総額は、市場が当社をどう評価するかという一つの尺度であり、非常に大切なものだと思います」。
そして、世界の化学企業でトップになるのは容易ではないが、この目標達成に向けて、現業製品の強化、新規製品の早期育成、さらに各部門で原材料の安定的確保に向けた対策を進め、当社としての強い「根」を張ることを従業員に求めた。

小柳俊一特別顧問が逝去

小柳特別顧問の「お別れの会」

2004年7月7日、小柳俊一特別顧問が東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で逝去した。77歳であった。
小柳特別顧問は1952年に東京工業大学工学部化学科を卒業後、当社に入社し、主に研究開発と生産技術の分野で手腕を発揮した。特に日本でも後発であった当社の塩ビ生産技術を、世界トップにまで引き上げた。
1981年に取締役に就任。その後、常務、専務を経て、1990年8月に金川社長が就任すると、同年9月に代表取締役副社長に就任した。その後、1998年5月に信越半導体代表取締役会長、1999年6月には同社の社長に就任した。
1979年の第2次オイルショック後、1980年代前半における当社の国内塩ビ事業立て直しの際には、当時の金川塩ビ事業本部長を全面的に支えて、鹿島工場の合理化と生産コストの低減に目覚ましい実績を上げ、同事業の収支改善に多大な貢献をした。
1992年5月にG委員会が発足すると、委員長に就任し、新たな生産技術などを積極的に取り入れて生産、物流などの合理化や生産性の向上を進めた。
信越半導体では、当社G委員会の手法も取り入れた合理化を進めて信越半導体グループの経営体質の強化を図り、300mmウエハー事業の発展に力を尽くした。
研究開発や生産技術の分野における実績は外部からも高く評価され、1987年5月には紫綬褒章、1997年5月には勲三等旭日中綬章を受章するなど、多数の表彰を受けた。
2003年11月から体調を崩し、2004年6月には当社副社長と信越半導体社長を退き、病気療養に専念していた。
小柳特別顧問の通夜と密葬は2004年7月11日、12日、東京都杉並区の築地本願寺和田堀廟所で執り行われた。また同年9月13日には、当社と信越半導体の主催により、東京都千代田区のパレスホテルで「お別れの会」が行われ、各界から1000人を超える参列者が集まり故人を偲んだ。