

新たな挑戦の始まり
1990-1994
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当社シリコーンが採用された浅虫水族館(青森県)のトンネル水槽
1990年代に入ると、磯部工場松井田分工場は2つの大きなプロジェクトが完了し、シリコーン中核工場としての体裁が整えられた。
1990(平成2)年8月に完成したシリコーン生ゴムとシリコーン熱加硫ゴム(硬ゴム)の一貫工場であるP-Ⅱ工場では、大幅な省力化に向けて生産工程の自動化が進められ、1人当たりの生産性は従来のシリコーン熱加硫ゴム工場(磯部工場G工場)の約3倍に高まった。シリコーン熱加硫ゴムの市場は、自動車や家電、事務機などの用途に国内外で拡大していた。需要増への対応を進め、多品種にわたるシリコーンゴム製品を送り出してきた磯部工場では、もはや用地の確保が困難で、生産設備の増強や増設工事はもとより、省力化や自動化対策も難しい状況にあった。松井田分工場におけるP-Ⅱ工場の建設は、さらなる成長に欠かせないものだった。
P-Ⅱ工場完成と前後して、1990年7月には、松井田分工場でのシリコーンモノマー第2プラントの建設を決定した。磯部工場におけるシリコーンモノマーの生産能力は、第1章第Ⅲ節で触れたように、1988年8月のMR-10の完成によって、従前の1.3倍にまで高まり、シロキサン換算で年産3万3000tに達していた。
しかし、シリコーンの需要は、電子材料をはじめ建設、自動車などの成長分野でますます旺盛になっていた。そのため、これに対応してシリコーン製品の生産を拡大するには、その中間原料であるモノマーの生産能力の増強が不可欠であった。そもそも松井田の用地取得は、シリコーンモノマー第2プラント建設に向けた検討から始まったものであった。
1991年2月の同プラント起工式には、金川社長をはじめ、菅原、橋本、小柳各副社長、和田、宮坂両専務など当社関係者に加え、群馬県企業局や松井田町ほか官公庁や工事関係者が多数参列した。起工式で日浦磯部工場長は、「今回のモノマープラントの建設は、松井田分工場の中核となるもので、完成すれば松井田地区も本格的な戦力になります」と挨拶し、同プラントへの期待と、その重要性を語った。
1992年に入ると1月にユーティリティ設備の試運転が完了し、続いてモノマープラントの部分試運転を開始した。3月には総合試運転を実施し、メチルシランの合成がスタートした。こうしたプロセスを経て工事は完了。最新の自動化、省力化技術を投入して、少人数でプラントの稼働状況を監視しながら生産ラインを管理できる、極めて生産性の高い新鋭モノマープラントが誕生した。このプラントの竣工式は1992年5月に行われた。
このシリコーンモノマー第2プラントの完成・本格稼働によって、松井田分工場が工場としての機能を拡大させたことを受け、磯部工場、郷原分工場、松井田分工場の組織体制の見直しが行われ、1992年8月に群馬事業所が設置されたのは前述のとおりである。
磯部工場と併置された松井田工場は碓氷郡松井田町にあり、安中市の磯部工場と近接していたが、両工場の行政区分は異なっていた(2006年3月、松井田町と安中市は合併)。そこで、松井田工場は、分工場ではなく独立した組織として行政への対応を図ることになった。高圧ガス取締法などの法的な対応においても、組織を独立させ管理体制を整備することが適当と判断した結果であった。
磯部工場には従来の製造部門と郷原分工場が置かれ、それまで磯部工場の組織であった品質保証部、事務部、環境保安部、原動部、工学技術部は群馬事業所の直轄となった。また、工場長室は事業所長室と改称されて群馬事業所の直轄となり、事業所長には日浦常務(磯部工場長兼務)が就任した。
◆シリコーン上市40周年、第2の創業へ
1993年、シリコーンは上市40周年という記念すべき年を迎えた。
宮坂事業本部長は、この年を名実ともに第2の創業年とするために、1顧客第一主義の基本を再確認して売り抜く、2総合力を発揮しやすい体制づくりをして進む、3グローバル化にいっそう注力する、という3点を年頭の抱負として経営陣に表明した。
1993年4月に、シリコーン事業本部は大規模な組織改定を実施した。その主な目的は次の4点であった。
1営業部門をさらに小回りのきく組織として、コスト・利益重視の組織体質づくりをいっそう推進する。
2国際化対応の強化のため、国内営業、海外営業の運営一体化を図る。
3デリバリー部門を各営業の直轄として、顧客サービスの向上を図る。
4管理部門を再編して、事業戦略機能を強化する。
具体的には以下のような改編がなされた。
1総括部門を設け、同部門に事業の管理統括にあたる「本部長室」と、長期事業計画の作成・調整にあたる「企画部」を新設。
2営業部門を「フルイド部門」(シラン、オイル、エマルジョン関連)と「エラストマー部門」(シリコーンゴム関連)に分け、両部門に3つの営業部と、デリバリーなどを手がける業務部を設置。なお、各営業部とも国内販売と輸出の双方を手がけることとし、その輸出業務を補佐・調整するために「海外推進部」を新設した。また、主に加工製品の開発、販売、技術サービスを行っていた国内営業第四部は、その実態に合わせて「開発製品部」と改称した。
1994年の社報『信越化学』1月号の「新春インタビュー」で、宮坂事業本部長は、「組織改定の根本にあるものは『ニーズ志向、ニーズオリエンテッド』を目指した組織づくりである」と説明している。
この新たな体制で、シリコーン事業は上市からちょうど40年となる1993年10月を迎えた。過去40年間の累計販売数量は、シロキサン換算で約41万tに達し、上市直後は20品種だったシリコーン製品も、約4000品種にまで増えていた。だが、シリコーンを取り巻く環境の変化には、新たな対応が必要であり、さらなるチャレンジが求められた。
先に引用した1994年1月の社報インタビューで、「最後に一言」と求められた宮坂事業本部長はこう答えている。「やはり、チャレンジ」。

郷原分工場B-I工場の増設工事竣工式

磯部工場コジェネレーション設備
磯部工場では、この間もシリコーン生産部門の増強を進めていた。1991年12月には7期にわたって行われたA工場の再編・増強工事が完成し、新規試作品や小規模高付加価値品の生産体制が確立するとともに、ジャンクションコーティングレジンの生産設備をA工場に移設した。また、郷原分工場では、現状の約3倍量のシリコーンRTVゴムの生産・出荷体制を構築する将来構想に基づく、B-I工場の増設工事が1991年12月に完了した。建屋を2倍の規模に増築するこの工事は、1983年の郷原分工場設置以来3回目となる大規模なものであった。完成後はシーラント、LIMS材料、高強度シリコーンRTVゴムの生産を開始、量産品生産工場としての機能が拡充された。
このように1990年から1992年にかけて、当社のシリコーン事業は、モノマーから製品まで生産体制の拡充を図ったが、国内ではバブルが崩壊、海外ではイラクのクウェート侵攻から湾岸戦争へと推移し、景気は後退した。
シリコーン事業本部の宮坂事業本部長は、経営陣に対して、「シリコーン事業は現在まさに胸突き八丁にあるのが実情である」(1991年11月)、「経済減速とMプラントの完成スタートが並行して、苦難が予想される年」(1992年1月)と報告した。
事業環境への厳しい認識から、シリコーン事業本部は、さまざまな対応策を実施した。工場における省力化などの合理化、営業部門も含めた総合的な経費節減はもとより、新規需要の開拓、既存製品のシェア向上と国際競争力の確保、営業・製造・研究が一体となった収益改善努力、アジアにおける基盤強化と欧米拠点の自立化などであった。
新規需要の開拓については、1991年4月に国内営業部門に「市場開発部」を新設し、マーケティング活動の強化に一段と注力した。こうした努力により新製品の開発・完成が加速され、シリコーン事業の特長でもある多品種化も進み、販売量は1992年度も拡大した。しかし、この時期、円高や競争の激化、品種構成の変化などによって販売単価は下落傾向にあり、厳しい対応を迫られていた。群馬事業所では、旧磯部工場時代からの取り組みである「Iプロジェクト委員会」や、G委員会の活動などを進めた。
1991年に発足したIプロジェクト委員会は9つのグループを編成して、生産プロセスの合理化、物流の効率化、産業廃棄物対策、品質保証の効率化、事務管理部門の効率化を推進した。また1993年1月からは、一段の合理化を目的として、外部講師による1年間にわたる研修が実施され、1993年は製造部門の課長・係長クラス、1994年は作業長・組長クラスが受講した。ここでは工程改善、自動化推進、4Sなど、生産現場の合理化を目的とした講義やグループ討議が行われ、その成果が現場に取り入れられた。
1992年5月にはG委員会発足によって、工場ごとにコストダウン目標額が設定された。群馬事業所では、G委員会の目標額達成に向けた自動化・省力化投資に加え、より進んだ物流情報システムの構築と、充填・荷造り・配送の自動化・省力化、分析・検査作業の自動化などに取り組んだ。
こうした状況下でも、各種シリコーンエマルジョン製品を製造するE工場では、省力化と生産効率の向上を目指し、1994年3月に第1期再編・増強工事を完成させた。また、郷原分工場でもシーラント充填包装設備の更新増強工事を進め、1996年1月に完成するなど、設備増強と自動化・省力化への取り組みは継続的に進められた。

韓国信越シリコーンの大所工場竣工式
1990年から1994年にかけては、シリコーン事業が海外展開を強化した時期でもある。国際市場では、米国のダウコーニングが群を抜いたシェアを確保しており、そのほかにも米国、欧州に有力メーカーが存在していた。1980年代に本格的な海外展開を始めた当社は、1990年の販売量ベースの輸出比率は30%であった。アジアでは現地法人を軸とした販売体制の再構築、米国では事業基盤の確立と現地生産の推進、欧州では現地生産の早期軌道化に取り組んだ。
アジア市場では、韓国で米国の有力メーカーが現地法人を立ち上げて、市場攻勢を強めた。当社はシェアを確保するため、韓国信越シリコーンを軸に体制の再構築を図るべく、1991年3月に韓国駐在員事務所を閉鎖し、所員を韓国信越シリコーンに移籍させて営業力を強化した。同時に同社の増資を行い、販売・生産・技術サービスの機能を持つ自立した会社として、直販体制の強化、輸入品を含む販売体制の再編・整備などを進めた。
生産面では、ソウル市内に立地する九老工場が生産能力の面で限界に近づき、この頃から環境規制が次第に強められたことから、ソウルから南へ110kmの大所工業団地に約4万3000m²の用地を確保し、移設・増強をすることとした。この「大所工場」は1992年7月に竣工、生産能力は旧工場の2倍となった。また、台湾でも、1991年9月に台湾信越シリコーンがテクニカルセンターの業務を開始し、顧客サービス機能を高めた。
その後、円高の進行につれ、シリコーンの国内需要家はアジア地域への生産拠点の移転を進め、シリコーン市場拡大の要はアジアとなった。世界最大手のダウコーニングはいち早く各地に拠点を設け、市場を開拓していた。そのため、当社もシェア確保に向けて、いっそう事業体制の強化を図ることが急務となった。
欧州では、オランダのシンエツシリコーンズヨーロッパで、1990年10月に新事務所と工場が完成した。竣工式には宮坂事業本部長、日浦磯部工場長、伊藤邦雄シリコーン電子材料技術研究所長のほか、現地からアルメーレ市長、オランダ経済省幹部らが出席した。
事務所と工場合わせて約2000m²の建屋を有する新工場ではシリコーンRTVゴムの生産がスタートし、欧州各地の日系自動車メーカーに供給を開始した。欧州も景気後退期に入り、苦戦を強いられたが、日系企業をはじめとする顧客への製品供給は着実に進められた。
米国のシリコーン市場を開拓する当社グループにとって、1990年代前半はエポックメイキングな時期となった。1985年に設立されたシンエツシリコーンズオブアメリカは、1990年8月にマサチューセッツ州ボストンに東部販売拠点を設置し、米国東海岸へ進出した。
さらに1991年7月には米国の合成樹脂メーカー、ノバコアケミカルズと合弁で、シンコアシリコーンズを設立した。シンエツシリコーンズオブアメリカとノバコアケミカルズの持つ、シリコーン熱加硫ゴム事業を統合するのが目的であった。米国では、シンエツテクニカルサービスがカリフォルニア州トーランスでシリコーンRTVゴムの小規模な生産を行っていたが、シンコアシリコーンズの設立で、シリコーン製品の本格的な生産がスタートすることとなった。新会社設立に際しては、シンエツシリコーンズオブアメリカが資金と技術を提供し、ノバコアケミカルズがシリコーン熱加硫ゴムの生産設備を現物出資するという役割分担が決められた。
シンコアシリコーンズの本社および工場は、ノバコアケミカルズのあるオハイオ州アクロンに置かれ、50名の従業員がノバコアケミカルズから移籍した。新会社では、それまでノバコアケミカルズが生産・販売してきたシリコーン熱加硫ゴムを中心に、米国の電子材料や自動車業界に向けて販売を進めた。
なお、1994年8月に、ノバコアケミカルズより、同社が保有するシンコアシリコーンズ株を当社に譲渡したいとの申し入れがあり、1995年7月、シンコアシリコーンズはシンエツシリコーンズオブアメリカの全額出資子会社となった。1994年3月には、シンエツシリコーンズオブアメリカとシンエツテクニカルサービスのアクロンへの移転と、同地でのシリコーンRTVゴムの工場建設が決定された。
これは、第1に米国の需要家の要請に適合した製品をタイミングよく供給するには、現地に生産拠点を有することが必須であり、現地の原料を活用する必要があること、第2に円高で日本からの輸出が採算上限界に達していたこと、第3にカリフォルニア州は税制、環境などの規制が全米でもっとも厳しい、といったことを考慮したものであった。
これにより、マーケティングと販売のみを行ってきたシンエツシリコーンズオブアメリカでも、シリコーンRTVゴムの生産を手がけることとなった。アクロンへの移転・拡張によって、米国でも営業、製造、研究が一体となり、需要家への対応を図っていった。1995年3月に両社は、アクロンのシンコアシリコーンズ隣接地に移転した。シンエツシリコーンズオブアメリカはシンエツテクニカルサービスを吸収合併し、新拠点と工場を建設して新たなスタートを切った。

シリコーン電子材料技術研究所の新研究棟

松井田工場の守衛所
シリコーン事業にとって、新規顧客開拓、個々の需要家の要求に合わせた製品の供給、コストダウン、生産性の向上が重要なテーマとなっていたが、それらの実現には技術的な裏づけが不可欠であった。
その研究開発を支えたシリコーン電子材料技術研究所は、1991年4月、新研究棟が竣工した松井田への全機能の集約を完了した。それまで、工場の相次ぐ増設にともない磯部工場の敷地内に分散していた研究開発機能が、1カ所に集中した。
新研究棟の延べ床面積は8200m²で、4階建ての研究棟、2階建ての管理棟、動力設備、付属棟からなっていた。レイアウトは先進的な開放スタイルを基本として、それぞれの研究開発チームが日常的に顔を合わせて交流できるように配慮された。
シリコーン電子材料技術研究所にとって新たなスタートの年となった1991年の年頭、伊藤所長は経営陣に対して「シリコーン電子材料技術研究所としてのほぼ全機能が松井田地区への集約を完了してスタートを切る年であり、担うべき責務への認識を新たに、シェアアップ、中長期計画達成に寄与したい」として、分野別に以下の方針を打ち出した。
現業製品については、1現有技術を軸に市場動向を見据えて多角化、多層化を図り、技術基盤の強化・拡大に取り組み、2コストダウン技術の開発、海外の重点的技術のフォローをより強化する。一方、取り組み中の新規研究については早期戦力化を、顧客の要請に応える新製品開発やテクニカルサービスでは、スピードアップの徹底を図るというものであった。
その後、シリコーン事業を取り巻く環境が厳しくなり、海外市場での競争が激化していくなかで、価格とともに品質、納期、テクニカルサービスなどの総合的な競争力が求められた。このため、同研究所も特許を含む技術の質的向上に努めるとともに、G委員会やⅠプロジェクト委員会と連携した既存製品や原料の合理化、さらにアジア地域のテクニカルサービスの強化などに力を入れた。
新製品開発についても積極的な取り組みが続いた。シリコーン事業本部が販売促進のために年4回発行している『シリコーンニューズ』にも、新製品が毎号数点、ときには10点近く掲載され、需要家のシリコーン応用製品も多数紹介された。掲載商品を見ると、リンスインシャンプーや化粧品など身近な日用品から、当時各地で登場し始めた水族館の大型アクリル水槽や橋梁といった大型建造物まで、シリコーンが活躍の舞台を広げている様子がわかる。
1994年11月、シリコーン事業本部は、事業の今後の進め方を経営陣に報告した。海外市場では、汎用製品を中心に、最終製品に近い分野から現地生産体制を拡充し、円高で低下した輸出収支の改善、消費地内での供給体制の確立などを進めて、収益構造を確保する方針が確認された。
同時に、伸長著しいアジア市場での事業拡大を支えるシリコーンモノマーの供給問題が取り上げられた。
松井田工場のシリコーンモノマー第2プラント完成後、フル生産を目指して力を注いだこともあって、生産能力は限界に近づいていた。前述のとおりアジア市場へのモノマー供給については、成長戦略と密接に関連した重要問題だった。円高が進む状況下で、松井田工場が当初の計画どおりにシリコーンモノマーの第2期増設を実施し、製品を海外に送り出すことは、コスト競争力を損なうのではないかという懸念が経営陣の一部にあった。
しかし、松井田工場のシリコーンモノマープラントは、建設当初から第2期増設工事まで織り込んで先行投資を行っており、増設を実施しても投資コストは低く抑えることができた。さらに、数年来の生産性向上への取り組みと技術的な進歩もあって、松井田の第2期増設実施がそのまま競争力を損ねることにはならないというのが最終的な見解であった。
そこで、長期的な視点に立てば消費地の近くでシリコーンモノマーを生産することが不可避ではあるが、第2期増設工事として予定していた年産9万3000tまでは、松井田工場からアジア市場に供給することが投資効率の点からもよいという判断が下された。しかし、その後の対応については、最適な生産地、適正な生産規模などの検討を行うこととした。
シリコーンモノマーの生産にあたっては、生産規模が大きくないと投資効率上の問題があるため、海外で現地生産を行う場合、当社単独でプラントを建設すると規模の利益を得られない可能性もあった。その場合のパートナー選定なども含めて、総合的な判断を要する課題であった。このアジアでのモノマー生産構想は、2000年代に入って実現することになる。
一方、国内のシリコーン市場は成熟化しつつあった。そのため、収益基盤であるスペシャルティ製品を一段と強化する必要があり、研究開発とマーケティングの充実にいっそう力を入れることが改めて確認された。こうしてシリコーン事業は、1990年代後半以降、国内の地歩を固めながら世界市場でのシェア拡大に取り組んだ。
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