信越化学工業は創立100周年を迎えました信越化学工業は創立100周年を迎えました
第4章

世界市場への新たな布石

世界市場をリードする塩ビ事業

2000-2003

この章で知れること

  • 塩ビ、半導体シリコン、シリコーンの各事業で進めた大型投資
  • ITバブルの崩壊を乗り越え、最高益を更新
  • 塩ビ、セルロースでM&Aによる欧州拠点の拡充

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世界市場をリードする塩ビ事業

シンテック、アディス工場完成

第2期工事完成間近のシンテック・アディス工場

1999(平成11)年10月に着工したシンテックのルイジアナ州アディスの新工場は、2000年12月に第1期工事を完了し、1系列年産30万tの操業を開始した。化学プラントのように複数の工事が同時進行する大型工事では、工事一式をゼネコンに依頼することが多い。しかし、シンテックは自らがゼネコンの立場に立ち、複数の業者と工事発注契約を結び、自社で工事全体のとりまとめを行った。これにより工事が大幅に効率化され、1年2ヵ月という極めて短工期で完成した。
新工場が操業を開始した2000年の米国の塩ビ市場は、5月までは史上空前ともいえる好況であったが、6月以降は一転して住宅向けのパイプ、サイディング材などの需要が落ち込み、多くの塩ビメーカーが稼働率を落とした。
そのなかでシンテックは、需要家ごとにきめ細かな増販策を実施するとともに、輸出に注力して、フル生産・フル販売を継続した。アディス工場の操業開始後は、同工場も含めてフル生産・フル販売を続けた結果、2000年12月期のシンテックの業績は売上高、経常利益、当期純利益ともに過去最高となった。
2001年上半期も米国の塩ビ市況は低迷し、同業他社は赤字転落を余儀なくされ、なかには米国連邦破産法第11章の適用を申請して会社更生手続をとる企業もあった。世界的に見ても、この時期に利益を上げていた塩ビメーカーはほとんど見当たらなかったが、シンテックだけは稼働率を落とさず、利益を上げ続けた。2001年11月にはアディス工場の第2期分、年産29万tの工事が予定より1カ月早く完成した。ここに第1期分と合わせて年産59万tのアディス工場が完成し、フル生産に入った。金川社長は社報『信越化学』2002年1月号の「年頭メッセージ」のなかで、塩ビ事業に触れて次のように述べた。
「現在の米国塩ビ市況は、会社更生法を適用する会社が出たほど、たいへん厳しい状態が続いております。そのなかでフル生産・フル販売を続けたシンテックの営業力をもってしても、さらなる29万tの販売は容易なことではありません。米国の市況があまりにも悪いので、私は当初数ヵ月の操業延期を考えておりましたが、当社グループの現在の激しい落ち込みを少しでも取り返そうと、あえて無謀とも思えるこの困難な繰り上げ操業に挑戦することを決断いたしました」。
さらに2001年12月には、米国のボーデンケミカル&プラスチックス・オペレイティング・パートナーシップ社(BCP)との間で、同社保有のルイジアナ州アディスの塩ビ工場を買収することで合意した。この工場は1979年に当社の塩ビ生産技術を導入して建設されたもので、年産27万tの能力を有していた。BCPは2000年後半からの塩ビ需要の落ち込みのなかで経営不振に陥り、会社更生手続を申請していた。
シンテックは2002年以降もフル生産・フル販売に取り組み、それを実現し続けた。シンテックは2002年12月期、2003年12月期と、売上高、経常利益、当期純利益ともに過去最高の業績となった。2003年12月の時点で、シンテックの塩ビ生産能力は米国全体の32%を占め、2位以下を大きく引き離した。2000年代初頭、日本経済が厳しい環境にあるなか、当社は連結決算で最高益を更新し続けたが、シンテックの貢献は特筆に値するものであった。

欧州市場で業績伸ばすシンエツPVC

シンエツPVCの塩ビプラント

2000年に入ると、ロビンの塩ビ事業を引き継いだオランダのシンエツPVCとシンエツVCMが新たなスタートを切った。契約調印直後の2000年1月、金川社長は両社の従業員に向けて、当社グループへの歓迎の意を表するとともに、「塩ビの明るい未来へ向けてともに歩もう」という趣旨のメッセージを送った。シンエツPVCの塩ビ工場は、ロッテルダム市のペルニスに立地している。同社はフィンランドのポルボー市にあるネステ社の工場に塩ビ生産の一部を委託しており、これを含めた生産能力は年産40万tであった。一方、シンエツVCMの塩ビモノマー工場はロッテルダム市のボトレックにあり、生産能力は年産50万tであった。ペルニスとボトレックはロッテルダム港に面した巨大な石油化学コンビナートのなかにあり、両工場間の距離は約7kmである。2000年4月には、日蘭友好関係400年記念行事で来日したロッテルダム市長をはじめ同市の要人が、金川社長を表敬訪問した。同市長は、世界最大の塩ビメーカーである当社グループが、新たにロッテルダム市の産業界の一員となったことに歓迎の意を表した。これに対して金川社長は、「当社がこれまで世界各地で実践してきたように、企業市民の模範としてオランダの事業を拡大し、地域社会に貢献していきたい」と応えた。
操業開始後、シンエツPVCはフル生産、フル販売の実現に取り組んだ。その結果、買収前は赤字だった事業が、買収後初年度の2000年12月期から黒字に転換し、2001年、2002年とも利益を上げ、連結決算に貢献した。買収時に締結した金川社長独自の発想に基づく原料購入契約が、買収後の収益に大きく貢献した。また、シンエツPVCは安全を第一としながら、安定した品質の確保と最大量の生産に取り組み、増産とコスト削減を達成して利益率を向上させた。
シンエツPVCの欧州塩ビ市場におけるシェアは、1999年のロビン時代の5.5%から、2002年には6.5%へと拡大した。この好業績を背景に、シンエツPVCは借入金の返済を進めた。2003年10月、シンエツPVCの報告を受けた金川社長は次のように述べた。「買収以前の3年間は赤字を計上していたが、買収後は直ちに利益を計上するという奇跡に近いような実績を残し、連結決算の収益に大きく貢献している。特筆すべきことは、買収費用のほとんどを賄った借入金の返済が順調に進み、完済が近いことだ」。この時期、欧州の塩ビ市場は、上下水道用パイプや窓枠などの用途が好調で、堅調な伸びが見込まれた。シンエツPVCは販売の拡大を背景に、2002年9月、塩ビモノマーの増設工事に着手し2003年11月に完成、生産能力は年産62万tとなった。同時にペルニスの塩ビポリマー工場では生産工程の改良を行い、同工場の生産能力を年産35万tに増強した。これによりシンエツPVCの塩ビ生産能力は、ネステへの委託分年産9万tを合わせると年産44万tとなったが、この工事の間もさらなる販売拡大に向けて、第2次増強の検討に入った。ポルトガルのシレスも順調に事業を伸ばし、2001年1月に生産能力を年産20万tに高めた。

◆厳しい環境が続く国内塩ビ市場
国内の塩ビ事業は厳しい環境が続いていた。塩ビの国内向け出荷量は1996年度の205万tをピークに、2000年度は167万tまで減少した。これに対し、2000年末における国内塩ビメーカーの生産能力は合計257万tであった。そのため販売先としては輸出が、それも特に経済成長が著しい中国への輸出が大きな割合を占めた。
このような環境下で、当社は年産55万tの鹿島工場のフル生産・フル販売を期して販売拡大に努めたが、当社においても中国への輸出比率が高まっていた。しかし中国市場の先行きは不透明であったため、収支の改善を図るには、国内で値上げをするとともに販売量を増やし、鹿島工場で生産した全量を国内で売り切る体制を構築する必要があった。
収支を改善するには生産の合理化という方法も考えられるが、鹿島工場はすでに合理化に徹した工場だった。生産性の向上を図った最新鋭の設備を取り入れ、G委員会の取り組みなどを通じて恒常的に合理化実績を上げ、人員も必要最小限であった。したがって、これ以上のコスト削減は望めないと見られたが、鹿島工場では国内塩ビ事業の収支改善に向けて、さらなる合理化に取り組んだ。
2002年になると、ITバブルの崩壊によって国内景気は冷え込み、住宅着工の低迷や公共投資の抑制などにより、塩ビの国内需要は落ち込んだ。その一方で原料価格は高騰し、国内塩ビ事業の収支改善に向けた取り組みは厳しい状況を迎えた。
当社は塩ビ事業の存続と塩ビの安定供給を図るために値上げを打ち出して、6月から需要家との交渉に入ったが、価格後決め方式(第2章第Ⅲ節参照)のため、価格は2003年3月まで確定しなかった。そして4月以降の新年度に入ると、再び値崩れを起こした。
このような商慣行を続けていては、健全な事業構造が確立できないことは明らかであった。しかも価格後決め方式は、パイプメーカーなど需要家にとっても、自社の塩ビ製品の適正な価格形成を困難にする要因となっていた。また、企業を取り巻く環境を見ると、四半期決算や減損会計の導入などが始まり、価格後決め方式は時代にそぐわなくなった。
国内の塩ビ業界は1992年度から業界全体として赤字を続けており、2003年までの累計で、およそ1500億円の経常損失を計上していた。当社の国内塩ビ事業も厳しい状況にあり、第126期(2003年3月期)に続き、第127期(2004年3月期)も赤字が予想された。このため2003年6月からは、金川社長が国内塩ビ事業に直接関与して、具体的な指示を出した。特に大手需要家には、金川社長がそのトップと直接面談して、当社の考え方を伝えた。
その結果、需要家の姿勢も変わっていった。このような商慣行是正の気運を高めるため、2003年4~9月分の価格交渉が終了した2003年12月、当社は「2004年1月1日以降、全面的に価格先決め方式への移行」および「1kg当たり15円の値上げ」を発表した。

◆塩ビへの「逆風」収まる兆し
2000年5月、金川社長は2年半にわたり務めた塩ビ工業・環境協会(VEC)の会長を退任した。1990年代後半、塩ビがダイオキシンや環境ホルモンに関連づけられ「逆風」に見舞われた際、誤解を解き、塩ビの優れた性能、とりわけ省エネや環境保護に役立つ性能を社会に広く伝えるため、塩ビ業界はVECを設立し、塩ビに関する正しい情報の発信に努めた。
金川社長はその初代会長としてVECの活動を推進した。2000年前後の時期、金川社長はマスコミのインタビューなど、機会あるたびに塩ビは優れた材料であることを強調し、「塩ビは物性、加工性、経済性に優れており、環境保護に対しても役立つ。このような性能があるからこそ、世界全体で見れば需要が毎年3~4%伸びている」と述べた。任期を終えた金川会長の後任には、東ソーの田代圓社長が就任した。また、当社の市村常務がVECの理事に選任され、引き続き同協会の活動に取り組んだ。