

世界市場への新たな布石
2000-2003
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アジアシリコーンズモノマーの工場起工式
2000(平成12)年10月、当社とGEは共同記者会見を開き、両社が合弁で東南アジアに、シリコーンの中間原料であるシリコーンモノマーの生産・販売会社を設立することを発表した。この計画は1999年にGEの呼びかけで、両社の事業提携の可能性を探るところから始まった。シリコーン市場ではダウコーニングが世界最大のシェアを有し、それにGE、当社が続いていた。前章でも触れたとおり、世界のシリコーン市場のなかでもアジアがとりわけ著しい成長を続けており、アジア市場への対応が、各社のシリコーン事業を左右する鍵となっていた。当社とGEは米国や日本で会合を重ね、提携による相乗効果などに関して議論を交わした。その結果、合弁で東南アジア地域にシリコーンモノマー工場を建設することで意見がまとまった。アジア地域でシリコーン事業を有利に展開していくには、現地にシリコーンモノマー工場を設置することが不可欠であった。
シリコーンモノマーの生産で採算をとるには、シロキサン換算で年産10万t規模の能力を持つ工場を建設する必要があった。しかし、そのための投資額は巨額であり、また1社の力でその工場でフル生産を行い、生産量を売り切るのは困難であった。
当時、群馬事業所のシリコーン生産設備は高稼働を続け、松井田工場ではシリコーンモノマー第3期増強工事を進めていたが、シリコーンの海外展開を拡大するには、新たなシリコーンモノマー工場の建設が必要であった。上記のリスクを回避しつつ工場を建設するには、GEとの合弁事業が合理的な選択であった。
2000年に入ると合弁会社設立に向けて具体的な話し合いが進められた。担当者レベルではなかなか一致を見ない点もあったが、金川社長とGEのウェルチ会長によるトップ会談によって、折半出資で合弁会社を設立することで合意した。両トップとも世界市場の変化に対応した迅速な事業展開を望んでおり、トップ会談では個々の議題にすばやく判断を下した。工場の建設地もシンガポール、マレーシア、タイが候補に挙がった。これもトップ会談で金川社長がタイを提案したところ、ウェルチ会長も同意見であったため、タイに決定した。
2001年2月、タイの首都バンコクで、当社とGEは合弁会社のアジアシリコーンズモノマー(ASM)設立の調印を行ったあと、記者会見を開いた。東南アジア通貨危機からの立ち直りを図っていたタイ政府は産業誘致を積極的に進めており、同工場が通貨危機後最大の投資となることもあって極めて協力的であった。記者会見には同国の投資奨励庁長官が出席し、2001年5月には同国のクーン・スタポーン・カビタノン総理府投資委員会長官(KhunStapornKavitanon)が来日し、金川社長を訪問して謝意を伝えた。
ASMのシリコーンモノマー工場は、当社とGEの最新鋭の技術を導入してバンコクの南、約200kmのラヨン県に建設されることとなり、2001年10月に起工式が行われた。この工場はシロキサン換算で年産7万tの生産能力を有するアジア最大規模の工場で、投資額は2億5000万ドルであった。ここで生産されるシリコーンモノマーをGEと当社が50%ずつ引き取り、両社はこのモノマーを利用して、それぞれ独自の判断で各種シリコーン製品を生産、販売することとなった。
そのため当社は、ASMと同時に、当社の全額出資子会社「シンエツシリコーンズタイランド社」(SEST)を設立した。ASMの工場の隣接地に約70億円を投資してSESTの工場を建設し、ASMからシリコーンモノマーの供給を受けて各種のシリコーン製品を生産、販売することとした。また、2002年4月にはSESTのバンコク事務所を開設して、工場の稼働に備えた営業活動を開始した。
ASMとSESTの工場は2003年末に完成し、タイの伝統的な工場完成式典「入魂式」を行った。SESTの入魂式は2003年11月、ASMの入魂式は同年12月であった。こうして両工場は2004年3月の製品の本格出荷を目指して、2004年初めから試運転に入った。

浙江信越精細化工
2000年代に入ると、シリコーン事業においても、急成長する中国市場への販売拡大が大きな課題となった。上述したタイ工場の新設も中国市場を強く意識したものであった。
当社は1995年11月に香港駐在員事務所を開設して、地元の代理店育成と新規販路の開拓を進めてきたが、2000年前後になると上海市を核とした経済圏の発展が著しく、世界の有力シリコーンメーカーが拠点を設けた。このため上海に駐在員を常駐させて代理店を育成することが急務となり、2000年7月、上海駐在員事務所を開設した。同時に香港駐在員事務所は、その役割を終えて閉鎖された。
さらに、浙江省嘉善県の工業団地に、シリコーン製品の生産、販売を行う現地法人の設立を決定し、2002年5月に「浙江信越精細化工有限公司」を設立、同年6月に工場の起工式を行った。当社としては初の中国への工場進出であった。同社は、台湾で当社のシリコーン製品を取り扱う崇越貿易の米国子会社、TOPCO International Companyと当社との合弁会社で、出資比率は当社が90%、TOPCO Internationalが10%とした。
浙江信越精細化工の工場は上海から約90kmの場所に建設され、アミノシリコーンオイル、シリコーンエマルジョン、一液型シリコーンRTVゴムを生産、販売することが決まった。
工場は2003年5月から本格操業を開始した。中国市場の地域性を勘案して、華東地区はアミノシリコーンオイルとシリコーンエマルジョン、華南地区はシリコーンRTVゴムを中心に販路を拡大し、その後は市場の要請に応じて生産、販売品種を拡大する方針をとった。
さらに2003年8月には上海市に、シリコーン製品の販売を行う当社全額出資子会社「信越有机硅国際貿易(上海)有限公司」を設立した。これにより中国におけるシリコーン事業は生産と販売の両輪が揃い、急成長する中国市場で販売拡大を図った。また、シリコーン事業本部は2003年1月に中国語版ホームページを開設し、広大な中国市場に向けて幅広く情報発信を開始した。なお、上海駐在員事務所は従来の業務を新会社に引き継ぎ閉鎖された。
こうして2003年末における中国および台湾の当社グループのシリコーン事業拠点は、信越ポリマーの子会社である蘇州信越聚合有限公司、信越聚合物(上海)有限公司を含めると6拠点となった。シリコーンの国際競争は激化の一途をたどっており、コスト競争力に優れるアジア地域での生産拠点づくりは、販売競争を有利に進めることに直結していた。

シンエツシリコーンズオブアメリカのフリーポート工場
2001年8月、当社は米国における機能性シランの新工場建設計画を対外発表した。
機能性シランは、接着剤、コーティング剤、ガラス繊維、タイヤ、ゴム、電子部品など幅広い分野に使用されるとともに、熱可塑性プラスチックの接着促進剤や架橋剤にも使われていた。なかでも自動車の低燃費を実現して環境対策に貢献するシリカ配合タイヤ向け用途の伸びが著しく、注目されていた。当社は直江津工場にシラン類の生産設備を擁しており、売上げ、利益とも順調に推移していた。2000年3月、シリコーン事業本部の事業報告で日浦シリコーン事業本部長は、「最近はシリカを配合したタイヤ向けの用途が伸び、将来性があるため、各社とも大きな投資を計画するなど展開を図っている。当社でも大きく伸ばすチャンスだと考えている」と述べた。
そして1960年代からシラン類の生産に取り組んできた強みを生かして、世界シェアの拡大を図る方針であったが、直江津工場における能力増強の限界に備えて、新たな生産拠点を確保する必要があった。そこで世界市場を視野に入れて検討を進めた結果、米国における新工場建設を決定するに至った。
工場の建設地は、テキサス州のシンテックのフリーポート工場北側に隣接する当社の所有地とし、そこに原料から製品までを一貫生産する工場の建設を進めた。工場の建設と運営はシンエツシリコーンズオブアメリカが行うこととなり、同社のフリーポート工場となった。2001年10月に着工した同工場は、建設にあたって、1998年11月完成の直江津工場CF–Ⅲ工場の建設で培った技術やノウハウなどが生かされた。そして2002年12月からは試運転を行い、2003年2月に本格操業を開始した。
生産能力は年産1万tで、生産品種はアミノシラン(接着剤、ガラス繊維、複合材、塗料、樹脂改質用など)とポリスルフィドシラン(シリカ配合タイヤ用)の2品種を中心とした。この工場の稼働により、当社グループの機能性シランの生産能力は倍増した。これに備えて工場の完成前から営業活動を世界中で展開して、販路の確立に努めた。

シリコーン新製品記者発表会で行われた使用実験(2001年3月)
シリコーンはシリコンウエハーや塩ビなどに比べると市況の波が小さく、安定した収益を確保して、当社の業績に大きく貢献してきた。しかし、シリコーン事業の国際化が進展するなかで、シリコーン製品の一部は汎用品となり、激しい価格競争に巻き込まれた。2000年以後、特にその傾向が強まり、当社のシリコーン事業も、価格競争に打ち勝ちながら利益を確保するという課題に取り組んだ。
第123期(2000年3月期)のシリコーン事業は、海外市場が順調に伸びて、数量ベースの売上げで見ると海外が国内を上回った。需要家の生産拠点の海外移転などに積極的に対応した結果だった。しかし金額で見ると国内販売の役割は大きかった。これは国内需要家の要望にきめ細かく対応した製品の開発などを通じて、他社にはない独自の製品を提供して、利益を高める努力を続けたことの表れであった。
2000年に始まった松井田工場のシリコーンモノマー第3期増強工事は、2001年4月に完成し、当社の粗メチルシラン生産能力は年産21万5000tとなった。また2001年には、タイにおけるGEとの合弁事業と、米国における機能性シラン工場の建設計画が具体化した。
それとともに拡販のためのプロジェクトチームをつくり、アジアを中心に積極的な販路の拡大に努めて新工場の稼働に備えた。国内では、シェアの拡大と高付加価値品による利益確保に取り組んだ。
しかし2001年後半は、世界的なIT関連需要の減少などにより景気は後退局面を迎えた。シリコーンもその影響を受け、第125期(2002年3月期)連結決算では、シリコーン系事業の売上高と営業利益は前年を下回った。
2002年4月、第126期(2003年3月期)の売上げ・利益目標達成に向けて、シリコーン事業担当の坪倉弘明専務は、国内は「積極的シェア向上策の推進」、海外は「米国、タイ、中国の新工場の立ち上げをにらんだ対応」、そして「大幅コストダウンの実現」と方針を掲げ、「(目標の)一日でも早い達成を目指して、事業本部『製・販・研』一丸となってあらゆる手段を講じ、全力を尽くして挑戦する」と述べた。
第126期のシリコーン事業は、国内では自動車関連をはじめとする多くの分野で需要が上向き、海外も東南アジアの電気・電子産業が好調で順調に推移した。その結果、第126期連結決算のシリコーン系事業の売上高と営業利益は前年を上回った。
また2003年は、当社シリコーン事業にとって事業化50周年にあたる節目の年であった。社報『信越化学』2003年10月号では「シリコーン事業化50周年特集」を組み、営業、製造、研究の各部門および海外法人でシリコーンに携わる従業員の声を掲載するとともに、金川社長と坪倉専務がメッセージを寄せた。
シリコーン事業本部では記念行事として、国内の主要取引先と代理店に感謝状とフラワーギフトを贈呈し、海外には感謝楯を贈った。また、小野義昭シリコーン電子材料技術研究所長の編著による『シリコーン––広がる応用分野と技術動向』を化学工業日報社より発刊した。
この時期、シリコーン事業は、新製品開発でも多くの成果を上げた。シリコーン事業全体の利益のうち約4分の1は、過去5年間で開発された新製品によるものであった。半世紀を越える歴史を有するなかで、なおも新製品が生み出され、売上げ、利益の両面で寄与していた。
その優れた研究開発の成果は外部からも高い評価を得た。2001年11月には、当社が開発、実用化した「導電性粉体の開発と導電性シリコーンゴムへの応用」が第6回ケイ素化学協会「技術賞」を受賞した。これはポリシランの性質を利用して独自の導電性シリコーンゴムを開発したもので、高耐熱性を発揮する低抵抗ゴムとして、高度な信頼性を求められる電子部品などに幅広く応用できると評価された。
また2003年10月には、シリコーン電子材料技術研究所の「液状シリコーンゴムとプラスチックの接着」が、第8回ケイ素化学協会「技術賞」を受賞した。これは金型を使うゴム成形の際に、接着助剤を用いずに、液状シリコーンゴムを他のプラスチックに接着できるとともに、液状シリコーンゴムが金型に付着しない技術であった。工程を短縮できるため、携帯電話の押しボタン部分のシリコーンゴムをはじめ、多くの用途に応用された。
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