

次代と世界を見据えて
1995-1999
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シリコーン新製品室の竣工式(松井田工場)
1996(平成8)年1月、シリコーン事業本部の宮坂事業本部長は、「依然として量的拡大基調にある世界市場で、生き残りをかけて競争に打ち勝つ努力をする」として、1基本に忠実な姿勢、2営業力の強化、3海外拠点のさらなる充実と収支改善、4シリコーンモノマープラントの将来計画の確立、5組織の見直しと実行、という5つの目標を明示した。
1990年代半ばの国内シリコーン事業は、自動車や電気・電子など幅広い分野で売上げを伸ばすとともに、化粧品用変性シリコーンオイルのように、特色のある製品が販売実績を伸ばしていた。いずれも需要家の要望にいち早く応えて製品をつくり上げることが不可欠で、需要家との関係をより密接にして、情報収集力の強化に力を注いだ。
市場への迅速な対応を強化するため、シリコーンの主力生産拠点である群馬事業所では、1995年6月、松井田工場に「シリコーン新製品室」を新設した。シリコーン新製品室はシリコーン熱加硫ゴム、シリコーンRTVゴム、LIMS材料など、シリコーンゴム関連の試作品や小規模品の専用工場で、多品種少量生産のシリコーンゴム製品にきめ細かく対応した。
磯部工場に従来から設置されていた新製品室は、「機能材料新製品室」と改称された。1997年10月にはシリコーン事業本部の組織改定を実施し、産業別組織から製品別組織に再編成した。これは製品を軸に、営業、製造、研究を一体化した体制であり、市場への対応力強化を図ったものであった。1997年11月にシリコーン事業本部が経営陣に行った事業報告では、コモディティ製品とスペシャルティ製品のバランスをとり、収益増を図る手段として、次の方針を描き出した。コモディティ製品については、販路を拡大して稼働率を上げることにより、さらに生産コストを下げるという好循環を目指す。また、スペシャルティ製品は、需要家に密着した営業活動の展開と研究開発の強化によって、需要家の満足する高性能・高機能製品を開発して収益向上を目指す、というものであった。
シリコーン製品の需要の伸びに対応しつつ収益性を高めるには、コスト競争力に優れたシリコーンモノマーの安定供給が不可欠であった。
このため、1997年に松井田工場のシリコーンモノマー第2期増強工事の実施が決定された。これはシリコーンモノマーの生産能力を段階的に引き上げて、最終的には従来の1.6倍に高めるものであった。1998年1月に松井田工場東地区で起工式を行い、工事は2段階に分けて進められた。第1段階は1998年10月、第2段階は1999年9月に完成した。これにより群馬事業所の粗メチルシラン生産能力は年産18万6000tとなった。
また、松井田工場のシリコーンモノマープラント増強にともない、群馬事業所では、シリコーンモノマーの次工程である環状シロキサン(DMC)生産設備の増強工事(1998年8月完成)や、シリコーンモノマーの原料となる金属ケイ素粉砕設備の増強工事(1999年5月完成)などを実施した。このようにシリコーンモノマーの段階から増強を行うことで、シリコーン拡販の基盤強化を進めた。
◆世界のシリコーンメーカーが日本に集合
シリコーンの国際競争が激化する一方で、社会的な関心が高まった製造物責任や環境問題などでは、メーカー各社が世界規模で協力体制を構築し、情報共有化を図った。1993年6月に、ドイツのミュンヘン市で開催された臨時特別会議で発足した「世界シリコーン工業会」(GlobalSiliconeCouncil:GSC)は、欧州、米国、日本の3地域のシリコーン工業会を傘下に置き、この3地域に関わる環境、健康、安全、法規制対応に関して、個別企業では対応が困難な調査や研究、試験などの活動を討議し、方針を決定している。これら3地域のシリコーン工業会は、GSCの方針に従って、協力して活動を実施している。1999年7月にはGSCの年次総会が初めて日本で開催され、当時、GSCの会長であった当社の柴田富雄取締役待遇が議長を務めた。欧・米・日のシリコーン工業会の代表、各シリコーンメーカーの代表、GSCメンバーなど世界各国から25名が参加して、環境や健康などに関するシリコーンの技術情報を活発に交換して、GSCの活動に新たなページを開いた。当社は1993年のGSC発足以来、GSCのメンバーとして、世界のシリコーンメーカー共通の課題解決に向けて重要な役割を果たし、現在に至っている。

シンエツシリコーンズオブアメリカ設立10周年記念式典当日、新工場を見学する来賓
世界市場でダウコーニング、GEに次ぐ第3位の地位を占めてきた当社のシリコーン事業は、国内では売上高の約3割が輸出であった。1995年から1996年にかけて円高が予想を超える水準まで進み、日本から進出した多くの東南アジアの需要家に対して、国内で生産した製品を供給していては、競争力が維持できない状況であった。
当社のシリコーン事業は、全体としては増収増益を続けていた。しかし輸出については予想を上回る円高の影響を受け、合理化努力や円建て取引を進めても採算を確保するのが厳しい状況で、早急に海外の生産拠点を強化する必要に迫られていた。
米国ではシンエツシリコーンズオブアメリカが1995年3月に米国西海岸からオハイオ州アクロン市への移転を完了し、同年7月にシンコアシリコーンズを同社の全額出資子会社とした。
1997年11月、日浦致シリコーン事業本部長は経営陣に対して、米国でのシリコーン事業の経緯について、「シンエツシリコーンズオブアメリカおよびシンコアシリコーンズは、これまで順調に売上げを伸ばしてきたが、シェアはまだ小さく、さまざまな制約から販売の重点をスペシャルティ分野に絞らざるをえなかった」と述べ、「米国の市場は巨大でシェアを広げるチャンスは大きい。また現在、松井田工場でシリコーンモノマーの増設を進めているが、次は米国でモノマー設備を建設することを検討している」と、さらなる販売拡大に向けた具体策を示した。
しかし、米国に新工場を設置して採算を確保するには、米国における当時の実績の5~6倍以上を販売する必要があり、アジアへの輸出や米国でのいっそうの拡販が求められた。このため、当初、スペシャルティ分野に絞った営業展開を進めてきたシンエツシリコーンズオブアメリカは、コモディティやセミコモディティ分野の販売拡大にも力を注いだ。
1997年7月、タイの通貨バーツ急落に始まったアジア通貨危機は、その年の後半にかけて東南アジア諸国にとどまらず、香港、韓国にまで広がった。また、国内でも不良債権問題から金融システム不安が広がり、先行き不透明感が強まるなど不況が深刻化した。
この国内外の経済変動は、シリコーン事業にも大きな影響を与えた。1997年には世界第2位のシリコーンメーカーであるGEが、バイエルのシリコーン部門を統合して合弁会社を設立し、欧州事業を強化してシェア拡大を実現した。これに対してトップシェアを持つダウコーニングも生産拠点の増設を進めて、世界市場における優位性確保に努めた。
この上位2社は、米・欧・アジアの3極で事業体制を整えつつあった。また、1997年頃に当社と並んで世界シェア第3位であったドイツのワッカーケミー社も米国事業を強化していた。国際的な再編・統合を含む激動期を迎えたシリコーン事業は、従来どおりの事業を続けていては成長を期待できなくなっていた。
1999年には松井田工場のシリコーンモノマー第2期増強工事の完成を控えており、操業開始直後から高稼働率を確保するという当社グループの基本方針を実現するためには、販売拡大が不可欠であった。
1998年年頭、日浦事業本部長は「今年は同業各社とのシリコーン事業の将来の生き残りをかけた競争が、ますます激化してくると予想される。これまで急成長を遂げてきたアジア地域が経済的な大混乱に見舞われ、事業戦略の見直しを迫られている」として、1営業力の強化、2海外展開の見直しと再構築、3デリバリー業務の効率化推進、4人材育成、という方針を示した。
営業力強化の面では、前年にシリコーン事業本部を製品別組織に改組しており、製品別グループの目標と責任の明確化と、客先訪問頻度や有効面談回数の向上とあわせて、顧客対応力を高めることを目指した。
また、第3に掲げたデリバリー業務の効率化とは、「PDQS(P=Production、D=Delivery、Q=Quality、S=Service、Sales)計画」の推進であった。この計画は増大するデリバリー業務の効率化のために始まったものだが、それにとどまらず、営業業務の改善、生産工程管理の効率化、コストダウン、顧客満足度の向上を目指していた。
これらの実現のために、社内だけでなく販売代理店など外部の協力も仰いでネットワークを構築して、受注から出荷までを一元管理することで、大幅な効率化とともに、納期回答の迅速化などにより顧客満足度の向上を図るものであった。1997年4月に「PDQSプロジェクト委員会」を設置。1998年には同システムの一部を稼働させ、1999年4月に本格稼働した。これにより各支店や営業所で行っていた受注業務は、徐々に群馬事業所に統合された。
販売拡大と利益成長に向けて、このような種々の対策をとったにもかかわらず、1998年から1999年にかけて国内市場では量的拡大が頭打ちとなり、さらにアジアの需要も落ち込むなど、シリコーンをめぐる環境は依然として厳しかった。
こうしたなかで1999年9月、松井田工場のシリコーンモノマー増強工事が完成した。同年11月、シリコーン事業本部は事業報告のなかで、今後取り組むべき第一の課題として「収益増を目指した拡販の推進」を掲げ、収益性の向上を図るべく、高付加価値品の拡販、コストダウンの推進、新製品の開発などを目標とした。

台湾信越シリコーンの創立10周年記念式典
韓国信越シリコーンは三星物産との折半出資による合弁会社であったが、三星グループの再編・集約にともない、当社は三星物産から、同社所有の韓国信越シリコーン株を買い取ることとなった。1995年12月に発行済み株式の40%、1997年12月には残り10%を三星物産から買い取り、韓国信越シリコーンを当社の全額出資子会社とした。
韓国信越シリコーンは、高い成長が見込まれるアジア市場の重要拠点として、化粧品や電気・電子分野などで販売拡大に取り組むとともに、テクニカルサービス機能を強化して、需要家への迅速な対応を図った。また、シリコーンRTVゴムやシーラント、シリコーンエマルジョンの現地生産の拡大も進めた。
1998年に創立10周年を迎えた台湾信越シリコーンは、キーパッド用シリコーン熱加硫ゴムを東南アジアと中国に供給する中心拠点となっていた。しかし、キーパッド用シリコーン熱加硫ゴムとLIMS材料の需要増によって、工場の生産能力が限界に達しており、新たな設備増強に向けて土地を確保するなどの投資も進められた。また、シリコーンオイル系製品の販売も強化し、収益力の強化を目指した。
台湾や東南アジアでは、この頃からスペシャルティ製品の市場が拡大し始めており、台湾信越シリコーンのテクニカルサービスセンターにシリコーン電子材料技術研究所のスタッフを派遣して、現地のレベルアップに努めた。
アジア市場では欧米の有力シリコーンメーカーも市場獲得に努めていた。当社はアジアではトップシェアを占めており、引き続きスペシャルティ製品、コモディティ製品ともに販売拡大を図り、優位性を確保する方針をとった。
シンエツシリコーンズオブアメリカでは1998年12月、シリコーンRTVゴムの増強工事が完成した。それまで15品種だった現地生産製品は100品種となり、同社のシリコーンRTVゴムの売上高に占める自社生産品の割合は大きく高まった。
同社は設立以来、米国市場できめ細かな市場開拓を続けてきたが、松井田工場のシリコーンモノマー増強や、この当時計画されていた米国でのシリコーンモノマー生産に備えて、よりいっそうの販売拡大に取り組んだ。
このほかのシリコーンの海外子会社では、米国のシンコアシリコーンズは、シリコーン熱加硫ゴムのコンパウンドメーカーとして高い評価を得て、碍子用コンパウンドやLIMS材料にも取り組んで収益向上を目指した。また、オランダのシンエツシリコーンズヨーロッパは、シリコーンRTVゴムの生産設備の増強を進めるとともに、現地スタッフによる営業体制づくりを行った。同時に、化粧品向け変性シリコーンオイルなどの販売拡大にも力を注いだ。

延命治療が行われたケヤキ
1990年代後半、シリコーン事業の一角を占めるCFシラン、機能性シラン、特殊シランなどのシラン類は、幅広い分野で順調に販売を伸ばしていた。1995年には直江津工場に「CF-Ⅲ工場」を新設することを決定し、8月に起工式を行った。同工場はCF-II工場の東側に置かれ、延べ床面積1932m²、地上3階建てで、既存の生産能力を約50%増強するものであった。あわせて、工程の自動化と設備の大型化によって大幅に生産性を向上させて、コストダウンを図った。同工場は翌1996年3月に完成、それまでCF-I工場で生産してきた有機機能性シラン、シロキサンオリゴマーなどを集中して生産し、土木、建築、自動車、電気・電子などの分野での需要の伸びに対応した。これを受けて営業部門は、シラン類の積極的な販売推進に努めたが、この間、1997年8月には本章第I節で触れたように、特殊シランを生産していた直江津工場のNR工場グリニャール反応設備で爆発事故が発生した。シランの品揃えを進めてきた最中の出来事であった。事故後、特殊シランのグリニャール反応は外部委託することとし、販売量を拡大して収益力の回復を目指した。直江津工場は1998年11月に、シラン製造部門のCF-I工場の増設工事を完成させた。
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