

新たな挑戦の始まり
1990-1994
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半導体磯部研究所に設置されたショーケース

信越半導体白河工場の大口径専用棟の火入れ式 (1992年2月)
1990(平成2)年の初め、半導体磯部研究所の玄関に新しいショーケースが設置された。そこには、単結晶シリコン、その原料となる多結晶シリコン、そして単結晶生産に用いる石英るつぼなどが展示されたが、ひときわ異彩を放っていたのが、直胴部400mm、直径300mm(12インチ)のCZ法単結晶であった。
この頃、ようやく200mm(8インチ)ウエハーが量産化の緒に就こうという時代であったが、この300mm単結晶は信越半導体が試験的に生産したもので、いわば先の先を行く技術であった。
ちなみに、当時、最先端の半導体デバイスであった16M(メガビット)DRAMの場合、300mmウエハー1枚から取れるチップ数は約440個と、8インチウエハーの2.4倍にのぼった。ウエハー1枚から取れるチップ数の増大は、歩留まりの改善にもつながり、半導体デバイスの生産にとって大幅なコストダウンに直結する。このため、ウエハーの大口径化は、半導体の世界では回路の線幅の微細化と並んで、常に大きな命題だった。
1990年のDRAMの世界では、それまでの主流であった1Mから4Mへの移行が確実な情勢になっていた。また、ウエハーは直径6インチが主流の座を占めてはいたものの、すでに日米の大手半導体デバイスメーカーは、8インチウエハーの本格的な導入を前提とした技術開発や設備増強を進めており、6インチから8インチへの交代が実現しようとしていた。こうした半導体業界の動向に合わせ、世界のシリコンウエハー市場でトップシェアを握る信越半導体も、8インチウエハーの量産体制を整えていた。
すでに磯部工場、武生工場で8インチウエハーの本格生産を始めていたが、白河工場でもその第1次対応として、1989年5月以降、8インチ生産ラインの導入を進めた。そして1990年1月には、8インチ単結晶の生産に使用する新鋭の引き上げ機がテスト稼働を開始した。これにより白河工場でも8インチ対応が整い、全社一丸となって、他社に先がけた安定供給を目指した。
さらに白河工場では、既存の生産ラインの増強に加え、既存工場の北側に、8インチ以上の大口径単結晶を量産する専用棟を建設することを決定、1990年12月に着工した。1992年2月には火入れ式が行われ、同棟の生産ラインが稼働を始めた。生産能力は当初月産10t、将来は30tとする計画であった。
一方、信越半導体グループ各社も次世代半導体への対応を図り、設備増強を進めた。1990年6月には直江津電子工業で、次世代PW工場となる「F工場」の建設を開始した。F工場とは「Future(未来)」の頭文字を取ったもので、半導体の高集積化に対応する最新鋭設備を備えたウエハー加工工場であった。
工場内は、スーパークリーンルームの設置、本社工場との自動搬送システム完備など、徹底したクリーン化と省力化が図られた。
半導体の集積度は1970年代以降、ほぼ3年に4倍というペースで進んだため、1990年代前半の主流であった4Mが、1990年代後半には16M、さらには64Mへと世代交代が進むと予想されていた。集積度が上がるにつれて、ウエハーに書き込まれる回路も微細になるため、より高品位、高精度のウエハーが求められる。極めて小さなほこりでも、デバイス生産の歩留まりに影響するため、ウエハーの生産設備にはより高いクリーン度が求められた。
F工場は1991年5月に竣工して同年秋から本格稼働を開始、当時主流であった6インチウエハーはもとより8インチウエハーの加工にも取り組んだ。
この直江津電子工業の工場新設とほぼ同時期に、長野電子工業も新工場を建設した。1990年7月に着工、1991年5月に完成した新工場は、既存工場の南側に建設され、8インチPWの生産設備と検査工程が設けられた。
1990年6月には半導体白河研究所が竣工し、ウエハー加工技術の研究開発に取り組んだ。関連加工会社の長野電子工業、直江津電子工業、三益半導体工業からも研究メンバーが参加し、この分野の技術拠点という同研究所の位置づけが定まった。ここで研究されたウエハー加工技術や自動化技術は、後述するマレーシアの新工場建設を経て、のちの300mmウエハー時代の基盤として生かされていった。
SEHアメリカは、1989年12月期に累積損失を解消し、翌1990年12月期も好業績が続いた。ちょうどその頃、米国でも8インチウエハーへの移行が始まろうとしていた。日本からの輸入で8インチをまかなっていたSEHアメリカは、現地生産に切り替えることを決定、オーチャード工場を増設して、1991年2月から生産を開始した。
SEHアメリカでは、当面は月産1万枚を目途とし、その後は需要家である半導体デバイスメーカーの8インチへの移行度合いに合わせて、さらに増強する計画を立てた。一方、ICの集積度が高まるなかで高品位ウエハーの需給も引き締まった。SEHアメリカは、これに対応して新たなEPW工場を建設し、1993年3月に完成した。
業績も1991年以降、成長を重ねた。1992年12月期は、売上高、経常利益、当期純利益とも前年比2ケタ増となった。好業績を上げたSEHアメリカは、1993年3月、当社が1988年に欧州でワラント債を起債して調達した、同社への貸付金1億ドルを返済した。そして1994年12月期も過去最高の業績を更新した。
欧州では、1993年の欧州市場統合を控えて、日系の半導体デバイスメーカーが現地生産化の動きを強めていた。SEHヨーロッパはこれに対応してIC用のPWプラント(第2期)の建設工事を1989年後半から進め、1991年4月に完成、操業を開始した。月産13万枚の生産計画でスタートし、需要の伸びとともに生産を拡大していくこととした。
1993年以降は、世界規模でのパソコンの本格的普及などを背景に、半導体産業は高い成長率を示した。欧州市場でも日米欧の半導体デバイスメーカーは設備投資を積極的に推進、ウエハー需要も年率2ケタ増と急ピッチで高まっていた。
こうした需要の拡大に応えるため、1994年10月、信越半導体はSEHヨーロッパの生産拡大計画を対外発表した。
その第1段階は、1995年1月を目標に、既存プラント内に単結晶の切断やウエハーの研磨装置を導入し、ウエハーの生産量を月産20万枚に高めるものであった。また、最終的には工場を増築して、月産33万枚まで増産することもあわせて発表された。
すでにこの時期、信越半導体は欧州市場で15%以上のシェアを有しており、この増産計画によってさらにシェア拡大を図った。

マレーシアのSEHシャーラム
1993年9月、信越半導体はマレーシアに8インチウエハー専用工場を新設することを発表した。SEHシャーラムを設立して、マレーシアの首都クアラルンプールの南西約25kmにあるシャーラム工業団地に、月産13万枚の8インチウエハー専用工場を建設する計画である。投資額は約200億円であった。
信越半導体では、1974年にSEHマレーシアが操業を開始しており、このシャーラム工場はマレーシアで第2の拠点となるものであった。それまでSEHマレーシアをはじめ、シンエツマレーシア、シンエツポリマーマレーシアといった拠点を設置してきた当社グループにとって、マレーシアは馴染み深い国であった。新工場建設にあたって、信越半導体では、いくつかの候補地のなかからマレーシアの自由貿易加工区であるシャーラム工業団地を選定し、そこに約20万m²の土地を確保した。
第1期工事では、1994年7月を目途に、月産6万5000枚の生産能力を持つ設備を建設することになった。そして、引き続き第2期工事を行い、1995年4月を目標に月産13万枚体制を構築する計画であった。8インチウエハーで月産13万枚という規模は、当時の世界最大であった。
シャーラム工場では、8インチウエハーを生産するために、新しい技術を大幅に取り入れ、その技術で生産されたウエハーはNCW(ニュー・コンセプト・ウエハー)と名づけられた。新たな技術の注目すべき点は、単結晶の切断の際に従来使われていた内周刃に代えて、ワイヤソーを使うことだった。ワイヤソーの厚みは内周刃の半分程度なので、それだけ切断時のロスを少なくすることができた。
ワイヤソーで切断後、ウエハーの外周部を円弧状に研削する面取り加工(ベベリング)、厚さのばらつきを小さくする両面粗研磨(ラッピング)、表面の歪みや異物を除去するエッチングの各工程を経たのち、NCWでは、面取りした部分に磨きをかける鏡面面取り、そしてウエハーの背面も磨く背面研磨を行った。
NCWでは、従来はウエハーの表側だけが研磨されていたものが、背面はもちろん、面取りされた側面まで研磨されるため、ウエハーからの発塵が少なくなるというメリットを需要家に提供できた。
1994年6月、シャーラム工場は予定どおりに操業を開始した。当時、6インチから8インチウエハーへの交代が急を告げており、韓国や台湾の半導体デバイスメーカーでの採用をきっかけに、次第に多くの需要家から求められるようになった。旺盛な需要に対し供給が追いつかず、工場はフル生産となった。シリコンサイクルが避けられない半導体関連事業では、投資のタイミングが極めて難しいとされているが、SEHシャーラムは幸運な船出となった。

落成式を迎えた信越光電
発光ダイオード(LED)などの材料となる化合物半導体についても、この時期、事業基盤の拡充に取り組んだ。1995年4月、信越半導体は台湾にLED用化合物半導体の生産・販売を行う新会社、「信越光電股份有限公司」を設立した。LEDを使用する世界の有力エレクトロニクスメーカーが、台湾にこぞって生産・販売拠点を設けていたためである。信越光電は、化合物半導体部門では初の海外進出となるもので、信越半導体が80%を出資し、台湾の光磊科技股份有限公司、崇越科技股份有限公司と合弁で設立した会社である。1995年末に工場を完成させ、1996年1月から事業を開始することとした。光磊科技は当時すでに世界でもトップクラスのLEDメーカーで、崇越科技は、シリコーンや合成石英で当社グループと台湾で合弁事業を行っていたというつながりがあった。信越光電は、台湾政府が先端技術産業を育成する目的で開発した政府直轄の工業団地「新竹科学工業園区」に設置され、GaP(ガリウム・リン)半導体の生産、販売を目指した。LEDは、GaP半導体の生産工程で微量に添加するドープ剤の種類などをコントロールすることによって、赤や緑に発光させることができる。信越光電では、まず、当時需要の大きかった赤色用を中心に生産し、順次、緑色用も加えていくこととした。その頃すでに各種のランプや標識、表示板、ディスプレイなどに利用されていたLEDは、輝度の向上や表現できる色数の増加といった技術の進展につれ、1990年代後半にはさらなる用途の拡大が見込まれた。信越光電は、成長著しい台湾で需要家に近接する利点を生かし、市場の要請に迅速に応えていった。

長野電子工業
シリコンサイクルが上昇に転じる局面を捉え、当社の半導体事業は、世界各地の拠点を増強することで迅速に製品を提供し、ビジネスチャンスの獲得に注力した。
同時に、次世代の事業を展望した技術開発にも積極的に取り組んだ。その一つがSOI(SiliconOnInsulator)と呼ばれるウエハー加工技術である。
SOIとは、ベースとなるシリコンウエハーの上に絶縁酸化膜層、さらにその上に均一なシリコン(Si)膜層という3層構造のウエハーをつくる技術で、SOIウエハーは低消費電力、高耐圧で、高集積度の半導体デバイスに適した特長を備えている。
SOIウエハーが実用化すれば、さらなる高集積化が実現でき、同等の性能なら従前よりチップサイズを30~50%小さくすることも可能であった。このため世界の技術者は、さまざまなSOI技術を考案していた。
信越半導体では、1988年からSOIウエハーの開発に取り組んでおり、1989年に開催されたIEEE(米国を本拠とする電気電子学会)の「SOI/SOSConference」で、世界で初めて貼り合わせ技術によるSOIウエハーを発表した。当時は酸素イオンを注入してSOIウエハーをつくるSIMOX技術が先行していたが、品質の安定性という点では問題があった。その点、貼り合わせ技術によるSOIウエハーでは、表面欠陥の少ない優れた結晶性と、安定した絶縁性を示す埋め込み酸化膜を実現することができた。信越半導体では長野電子工業の協力を得て、貼り合わせ技術によるSOIウエハー生産技術の実用化を目指した。
1990年3月には、長野電子工業が厚膜のSOIウエハーの生産を始めた。この厚膜SOIウエハーは、優れた耐電圧特性などから、自動車向けなどの用途が有望視された。また、低消費電力でもあったため、1990年代半ばから本格的な普及期に入った移動体通信用の半導体デバイスとしても注目を集めた。
信越半導体では、その後もさらにSOIの研究開発を進め、1990年代後半には薄膜SOIウエハー、すなわちSi膜層が1μm以下という、より厳しい条件のSOIウエハーの生産技術確立に取り組んだ。
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