

世界市場への新たな布石
2000-2003
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役員を対象にリーガルセミナーを実施(2000年2月)
2000(平成12)年6月、大手乳業メーカーによる食中毒事件が大きな社会問題となり、その後も2001年にかけて牛海綿状脳症(BSE)問題、米国同時多発テロなど、社会を揺るがす事件が続発した。国民の間には、社会全般に対する信頼や安全を求める声が高まった。企業に対しても説明責任や情報開示がこれまで以上に強く求められるようになり、適切な企業活動を支えるコーポレートガバナンスやリスク管理の強化が求められた。
当社は前述の乳製品の食中毒事件が起こると、事件発生直後の2000年7月、金川社長が従業員に向けて緊急メッセージを発し、「今回の(乳業メーカーの)事故の重大性に鑑みて、安全および品質(製造物責任)などの危機管理の観点から、操業管理をはじめとする企業活動全般について見直しをお願いします」と呼びかけた。
2000年7月の常務委員会における環境保安部の報告に際して、環境保安関係担当の秋谷常務は、「マニュアルなどを含めたハード面はできていても、その運用など基本的事項が軽視されてはならない。マニュアルの運用状況や、全従業員が安全に対して敏感になっているか、本当に危機感を持っているかというソフト面の
見直しを、初心に返って進めていきたい」と述べた。
さらに金川社長は、2002年2月に「法令遵守徹底の再確認について」メッセージを発して、「法令遵守第一、法令違反のないように周知徹底を強く要請いたします」と、社会規範に則った企業活動の推進を求めた。
このような流れを踏まえて、2002年4月から始まる第126期(2003年3月期)経営目標では、その冒頭に「全信越グループが遵法精神に徹し、公正な企業行動を行い、地域社会を含む全社会に貢献する」との文言を掲げ、遵法精神が企業活動を進めるうえで最優先であることを強調した。
2002年8月にはリスクマネジメント委員会を再構築し、委員長は秋谷専務、委員は各事業部長および各工場長として、法務部、総務部、経理部、技術部、環境保安部が事務局を補佐する体制とした。
同委員会はPL(製造物責任)リスク、不正行為・法令違反、安全・危機管理、資産・与信リスク、知的財産リスクなど、潜在する各種リスクの発生防止に取り組んだ。また、社長室とスカイワードインフォメーションシステムが行っている情報リスク対応、広報部が行っている広報リスク対応にも協力した。
特に巨額な損害のおそれのあるPLリスクについては、金川社長の方針により品質管理の責任体制を明確化し、品質管理の責任は第一義的に工場長、そして事業部長も共同して負うものとした。さらに売買契約書の条件改正、製品規格の見直しも進められた。
また、当社グループの一人ひとりが諸法令や社内諸規程などを遵守して適切に業務を遂行することを再確認するために、2003年2月、当社は全役員および従業員との間で「コンプライアンス誓約書」を取り交わした。2003年3月には「コンプライアンス相談室」を開設し、企業活動を進める際に、組織あるいは個人として、諸法令や社会倫理上の規準を満たしているか判断に迷ったときの相談窓口とした。
2000年代に入ると自然災害への危機意識が高まり、地域ごとにハザードマップが作成されるなどの動きが盛んになった。こうしたなかで首都圏直下型地震への対応を強化するため、本社地区の『信越非常災害対策マニュアル』を2003年8月に改定した。
大きな改定点は、首都圏に震度6弱以上の地震が発生した場合、12時間以内に「群馬バックアップセンター」を設置して、群馬事業所長が「センター長」となり、群馬事業所事務部長の指揮のもとで、在京従業員の安否の確認と救援物資の搬送を行うとした。また、在京の従業員全員に「緊急連絡カード」を配布し、首都圏で大地震が発生した場合にはカード記載の手順に従い、自身の安否を上司または群馬バックアップセンターに連絡することとした。

ホットメルト接着剤
当社は従来「安全・環境第一」として、職場の安全確保や労働災害防止に積極的に取り組んできた。環境保安に関する必要な設備投資は優先的に実施するという方針のもと、各事業所・工場では2000年以降も、環境保安活動を着実に推進した。
2000年5月には群馬事業所が長谷津最終処分場の第3期工事を完成させた。同処分場は将来を展望して1993年に拡張工事に着手したもので、計画的に第1期、第2期と工事を進めた。第3期工事の竣工によって面積5万7000m²、容量51万9000m²の規模を持つ長谷津最終処分場が完成した。
2001年10月には直江津工場で新鋭の廃棄物処理設備(焼却炉)が完成した。これにより工場内での廃油、汚泥、雑芥の処理も可能となり、処理費用も大幅に削減された。
なお直江津工場では、この廃棄物処理設備の完成に先立ち、処理設備への負担減とISO14001の一環として、同年4月から工場全部門とグループ会社が「リサイクル化」を開始した。一般廃棄物のリサイクル推進、ごみの削減、分別収集の徹底、収集日の設定のほか、新たにリサイクルセンターを設置して、プレス機能付きシュレッダー、ダンボールとミックス紙用圧縮梱包機を導入した。
2002年から環境保安部は「災害ゼロ3カ年計画」を開始し、同年2月から群馬、直江津、武生、鹿島の各事業所および工場でキックオフ大会を行った。
当社グループの労働災害件数は化学業界平均を下回る良好な水準にあり、1994年までは減少傾向にあった。しかし、その後は改善が見られず、労働災害件数が前年より増える年も見られた。そこで重大災害に至る前に、全従業員の自覚と協力によって生産現場から不安全行動や不安全状態を一掃し、3カ年計画で「災害ゼロ」を目指す運動に取り組んだ。
2003年に入ると、設備の保安点検不正の発覚により大手化学メーカー3社が操業停止処分を受けたほか、鉄鋼メーカーのガス爆発事故、タイヤメーカーの火災事故など、生産現場における事件や事故が続発した。このような事態に鑑み、金川社長は2003年9月、各事業所長、工場長、関係会社社長に向けて「工場の安定操業および安全確保について」というメッセージを発信し、次のように求めた。
「信越グループは、多くの産業および社会にとって重要な種々の製品を製造・供給しており、さらに半導体関連をはじめとして、高稼働の部門が多くなっております。今回、他社で起きた事故や不正事件を他山の石として、経営の基本事項である、
1法令違反を絶対に起こさないように法令を遵守する
2「安全・環境第一」の鉄則の遵守と「リスクや危険に対する感性」の向上
3「物づくり」における知識、技能のさらなる研鑽と次世代への伝承
の観点から、各工場の操業管理および安全対応を再確認するとともに、企業の社会的責任の再徹底をお願いいたします」。

信越シックスシグマの実施プログラム

TQM(TQC)とシックスシグマ
G委員会が10年にわたり、さまざまな効率化への取り組みを重ねるなかで、いっそうの成果を上げていくには、新たな手法を取り入れることが不可欠であった。
1999年10月、金川社長はGEのジャック・ウェルチ会長(JohnF.Welch,Jr.)の訪問を受けた折に、シックスシグマの手法と効果を聞き、直ちに技術部に同手法の検討を進めるように指示した。同年12月の常務委員会で、金川社長はシックスシグマについて、「これまで当社は独自の発想で経営を進めることが多く、これは大変貴重なことだが、その一方で他社の優れた事例を検討するなかで、今まで気づかなかった発想が生まれる可能性もある。GEで非常に成功しているシックスシグマ活動のような、他社の優れた概念を検討することも必要だ」と述べた。
シックスシグマ活動とは、米国モトローラ社のマイケル・ハリー氏(MikelJ.Harry)らが日本のTQCを研究して編み出した手法であった。シグマという言葉は、もともと統計用語の標準偏差のことで、シックスシグマとは100万回のうち3、4回の不具合しか許さない極めて高度な品質管理を意味している。これを1990年代半ばに、GEが経営改善のために取り入れて成果を上げた。1998年にGEがその成果を公表すると、世界的な注目が集まり、この手法を導入する企業が相次いだ。
シックスシグマは現状を定量的に把握し、統計的なデータ分析によって改善策を見出し、持続性のある活動の形成を目指すものである。そして、その活動は「チャンピオン」と呼ばれるトップ、そして「ブラックベルト」、「グリーンベルト」などの資格者で編成されたプロジェクトチームが推進する。このような体制からもわかるように、従来のTQCではボトムアップで問題解決にあたっていたが、シックスシグマはトップダウンで活動が進められる点に特色がある。
2000年にはシックスシグマの導入に向けて、技術部と各工場から選ばれた合計約20人のメンバーが、モトローラ日本法人から派遣された講師による「シックスシグマ手法研修」を受講した。このときのメンバーが各事業所・工場において講師となり、シックスシグマ活動の中核を形成した。
当社では戦後の早い時期から品質管理および小集団活動の蓄積があった。その蓄積を取り入れながら、従来欠けていた部分を新たに加える形で、当社独自の「信越シックスシグマ(実践SBC=統計的品質管理のShin-EtsuBasicCourse)」を形成した。信越シックスシグマでは「チャンピオン」、「ブラックベルト」、「グリーンベルト」といった称号は用いないが、各テーマの責任者がチャンピオン、実行責任者がブラックベルトの役割をするように位置づけた。また、部課長クラスを主な対象として信越シックスシグマの研修を進めた。技術部でシックスシグマ導入に当初から携わった担当者が講師となり、独自のテキストを作成して各工場を回った。
シックスシグマの活動を始めるにあたって、その仕組みと手法を習得するために、各工場でモデルプロジェクトに取り組むこととなった。モデルプロジェクトは工場長がトップとなって工場単位のテーマを決め、部課長クラスを主体としたプロジェクトチームを編成し、2000年4月にキックオフした。その成果は2001年2月、本社で開催された「第1回実践SBC活動発表会」で4工場から6テーマが発表された。
2001年4月からは、テーマの範囲を工場単位から部単位まで広げて、シックスシグマの仕組みの普及と戦力化を図った。さらに2002年4月からは課単位まで広げ、シックスシグマを収益向上の行動規範や意識改革の新手法として、全社的に定着させた。
2003年2月に開催された第3回成果報告会の時点では、プロジェクト数は年間約300件、合理化額は年間約50億円に達した。報告会の講評のなかで秋谷専務は、「このシックスシグマ活動を、テーマ発掘や問題解決に向けて有効に活用して、当社全体のコストを下げ、技術力を上げ、全員一致の活動によってモラールの向上に資するものにしたい」と述べた。
こうして、シックスシグマのトップダウン方式と、従来の小集団活動や改善活動のボトムアップ方式が融合した、独自の信越シックスシグマが育っていった。
なお、信越シックスシグマの活動範囲が小集団の単位にまで広がったことから、各工場で従来から行っていた小集団活動は、2003年4月から信越シックスシグマに統合された。
企業が将来、従業員に支払う退職金や年金については、従来の会計制度では債務として扱われていなかった。しかし2001年3月期から適用された新会計基準では、将来支払う予定の退職金や企業年金の金額(退職給付債務)を算出して、これを年金資産や引当金などで賄いきれない場合は、積立不足分を退職給付引当金として負債に計上し、償却していくことが義務づけられた。
当社は第124期(2001年3月期)決算において、退職給付会計基準変更時差異を一括して費用処理することとして、275億円(連結ベース)の退職給付引当金繰入額を特別損失に計上した。しかし、その後も低金利が続くなど金融情勢は不透明で、決算期ごとに退職給付引当金と特別損失を計上しなければならない可能性が高いことが予見された。
このリスクを回避するには、従来の税制適格退職年金制度を改めて、確定拠出年金制度を導入することが不可欠であった。毎月、従業員に掛金を支払う確定拠出年金に移行すれば、企業会計上、退職給付債務が発生しないためである。
このため当社は、2003年3月から確定拠出年金制度を導入した。なお、確定拠出年金には掛金限度額があるため、従来の退職金水準を維持するために、退職一時金制度と組み合わせることとした。

米国赤十字社からの感謝状
企業が将来、従業員に支払う退職金や年金については、従来の会計制度では債務として扱われていなかった。しかし2001年3月期から適用された新会計基準では、将来支払う予定の退職金や企業年金の金額(退職給付債務)を算出して、これを年金資産や引当金などで賄いきれない場合は、積立不足分を退職給付引当金として負債に計上し、償却していくことが義務づけられた。
当社は第124期(2001年3月期)決算において、退職給付会計基準変更時差異を一括して費用処理することとして、275億円(連結ベース)の退職給付引当金繰入額を特別損失に計上した。しかし、その後も低金利が続くなど金融情勢は不透明で、決算期ごとに退職給付引当金と特別損失を計上しなければならない可能性が高いことが予見された。
このリスクを回避するには、従来の税制適格退職年金制度を改めて、確定拠出年金制度を導入することが不可欠であった。毎月、従業員に掛金を支払う確定拠出年金に移行すれば、企業会計上、退職給付債務が発生しないためである。このため当社は、2003年3月から確定拠出年金制度を導入した。なお、確定拠出年金には掛金限度額があるため、従来の退職金水準を維持するために、退職一時金制度と組み合わせることとした。
寄付やボランティア活動にも、引き続き積極的に取り組んだ。2000年12月、オーストラリアのシムコアが、同社のあるバンバリー市に新設された総合病院に日本庭園を寄贈した。この庭園は「シムコア・テイエン」と名づけられた。シムコアでは、ほかにも地域の行事への協賛や、バンバリー市と姉妹都市である東京都世田谷区との交流活動の支援などを行っている。
2001年3月には、同年1月に開設50周年を迎えた大阪支店が、その記念行事の一環として、大阪市と芦屋市の社会福祉法人にそれぞれ300万円ずつ、計600万円の寄付を行った。これは「記念パーティーを開くのではなく、それに要する費用で社会に役立つ事業を実施したい」という、従業員の総意に基づいて決定したものであった。
2002年4月には、当社が創立70周年事業の一環として1997年から5年間にわたって実施した、東京大学「地球環境工学寄付講座」への支援が完了した。それを記念して「環境問題における産学連携を目指して」と題するシンポジウムが東京大学山上会館で開催され、成果が発表された。
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